被災地へ九州・阿蘇の自然湧水を送ろうにも取り扱い業者は受注停止の現状。 熊本県大津町の福居さんは、自分にできることは何かと考た末、被災者への激励の歌を作詩・作曲して聞いて頂き、少しでも元気な気持ちになっていただけたら・・との思いで新曲を制作。 今は使われなくなった水車を活用した大津町の小さな喫茶店で初めて歌っていただき、そのまま録画した映像と歌です。 被災地の皆さん、くじけずに生きてください。 携帯でも聞けるように小画面でアップします。
投稿者: mainichi
投稿日時:2011-03-26 01:47:03.0
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幼いころ~小学生まで菊陽町(三里木駅すぐ近く)に住んでいて、よくここの大津街道は、ばあちゃんに連れてもらい散歩してました。 そうそうここの道は毎年熊本日日新聞社主催の『熊日30㌔ロードレース』開催されているコースなのです。 毎年選手たち応援してた。 そこで思い出の地、行けば懐かしくなる場所。 ここは県道337号線(旧国道57号) 熊本市(竜田口駅、武蔵塚駅周辺)~菊陽町(光の森駅、三里木駅、原水駅周辺)~大津町(肥後大津駅)『大津街道杉並木』を跨ぐ線路。 大津街道杉並木は15㌔区間。 400年前この道は熊本城の殿様加藤清正公を主指揮もとに杉が植えられ作られた。 その後、参勤交代(細川藩主も通った)、商人(商業関係者)においても多くの人々が行き交ったとされる。 街道には札の辻を起点として一里(約4㌔)毎に塚が設けられて、そこにエノキ、クスノキ等の樹木が植えられました。 一里木、二里木、三里木と今でも当時の名残りとして、バス停、校区地区名、駅名でも使われています。 さてなぜここに街道にたくさん杉の木を植えたのか? 正解は動画みてもらうと答えあります(笑) また一番最初に話を戻します。 大津街道杉並木今の菊陽ジャスコが(旧店名:寿屋)以前の建物すらないまだ周辺畑、荒地の頃はあの辺はヘビが多かった。 当時から男三兄弟共、ばあちゃん子で育ったオレたち。 幼稚園夏休み頃、ばあちゃんと兄弟3人で夜の散歩に出かけた。 懐中電灯を照らしながら歩く。(今みたいにあの地区は街灯すらない時代) オレたちが興味津々で懐中電灯を振り歩いて、杉の木を照らすと そこにはなんと度肝を抜くほどの多数のヘビたちが枝を登っていた。 今わかることはアオダイショウです。 あの光景見ていたらしばらく夜歩きはやめた。 小学校時代低学年過ぎたころには菊陽ジャスコが(旧店名:寿屋)建設されて以来、ばあちゃんと夏休み何度も夜散歩、買い物に行くが全く見なくなった。 逆に見なくなったとき寂しくなった。 当時の話を今でもばあちゃんと懐かしとして話してます。 『ヘビ見ると度肝抜くけど、そこにいた物たちが去ると寂しい』 周りに話すと信じない人もいるけど、当時はヘビが木登りするほど自然たくさんな菊陽(光の森、三里木駅周辺)でした。 中学に上がり、途中龍田に転校したけど、武蔵塚公園までの犬連れての散歩コース間に歩道立つ杉並木をかきわけながら散歩してた。 社会人になり、ふるさとを後にして県外数年仕事行ってたとき、連休に戻るってここを運転すると懐かしいが蘇りました。 今では職業柄 樹木全てのこと勉強してます。 まだまだ知らないことはたくさんありますが、 『大津街道(豊後街道)杉並木』のことは歴史から勉強しようと思ったのは、 熊本ブロガー倶楽部テーマ『懐かしい熊本の風景』のおがけです。 すぐに思いついたのは大津街道(豊後街道)杉並木と阿蘇くまもと空港が離れませんでした。 実際に取材に行き一つ一つの物に関心が高まり、撮影して行く度に 車で通ってたら分からない発見があるのに気がつきました。 普段車通るで道、歩けば新たな発見。それを勉強して知識を得ると新たに知りました。 熊本も今年4月都市になりますます発展していますが、でも本当の自然の姿を残すは本来の全国でも緑豊かな熊本都市の使命感だと思ってます。 これからもずっと杉の木は守ってほしいです。
投稿者: mainichi
投稿日時:2011-02-13 01:01:13.0
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