こんばんは オレンジルームの黒澤です。 本日は 「金剛寺様」と「牛坂」をご紹介致します。 黒澤になったつもりでお楽しみください。 この金剛寺坂と牛坂の間には、 以前ご紹介致しました 「安藤坂」 があります。 【金剛寺坂(こんごうじざか)】 [春日2-4と5の間] 江戸時代、この坂の西側、金富小学校寄りに金剛寺という禅寺(ぜんでら)があった。 この寺のわきにある坂道なので、この名がついた。 小石川台地から、神田上水が流れていた水道通り(巻石通り)に下る坂の一つである。 この坂の東寄り(現・春日2-20-25あたり)で、明治12年に生まれ、少年時代をすごした永井荷風は、 当時の「黒田小学校」(現在の第五中学校のある所、昭和20年廃校)に、 この坂を通ってかよっていた。 荷風は、昭和16年ひさしぶりにこの坂を訪ずれ、 むかしを懐しんでいる様子を日記に記している。 (東京都文京区教育委員会立札より) 金剛寺坂の近くには金富小学校もあり、通学路として 歩く子供たちも多く見られます。 ゆるやかにカーブした坂です。 【牛(うし)坂】 [春日一丁目5 北野神社北側] 北野神社(牛天神)の北側の坂で、 古くは潮見(しおみ)坂・蠣殻(かきがら)坂・鮫干(さめほし)坂など 海に関連する坂名でも呼ばれていた。 中世は、今の大曲(おおまがり)あたりまで入江であったと考えられる。 牛坂とは、牛天神の境内に牛石と呼ばれる大石があり、それが坂名の由来といわれる。 (牛石はもと牛坂下にあった) 『江戸志』には、源頼朝の東国経営のとき、小石川の入江に舟をとめ、 老松につないでなぎを待つ。その間、夢に菅神(菅原道真(すがわらのみちざね))が、 牛に乗り衣冠を正して現われ、ふしぎなお告げをした。 夢さめると牛に似た石があった。牛石がこれである。と記されている。 (文京区教育委員会立札より) 詳細 寿永3(1184)年、源頼朝が東国征伐にあたり小石川の入り江に 船をもやい、 波が和むのを待ったとき、牛に乗った菅原道真公が夢に現れ吉事を伝えました。 覚めると 牛の形をした石があったのでそれを奉ったという。天神と坂の名の由来であります。 黒澤の目になったつもりで紹介動画見て下さいね。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ プロパティエージェント株式会社 オレンジルーム 〒112-0002 東京都文京区小石川1-14-3 THE TOWER KOISHIKAWA 1階 フリーダイヤル 0120-974-002 TEL 03-5844-1080 FAX03-5844-1081 E-MAIL info@orangeroom.jp URL : ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
投稿者: orangeroom
投稿日時:2011-07-15 22:01:51.0
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