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矢島義謙・高松山観音寺住職による法話

投稿日時:09/04/21 9:44  視聴回数:769回
カテゴリ: 地域
タグ: 第35代  高松山観音寺住職  矢島義謙氏による法話 
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス:
表示-改変禁止 表示-改変禁止 2.1 日本

第35代、高松山観音寺住職 矢島義謙氏による法話

私も倫理法人会の会員の一員でもありますので、皆さまがたの研修のお役に立てればということでお引き受け致しましてからもう4回目になりました。

今日は実はいろいろな催しが重なり、私も東ライオンズに行かねばなりませんでしたが、
きょう最初からの日程でもありましたので今日、こちらで研修させていただきます。

なにはともあれ、こういう時代に、朝早くから起きて何事にでも、とりくむという姿勢はたいへん立派なことでございます。

このお寺も私がここに入りましてから既に33年になりました。

ほんとうに見る影もないほどおちぶれたお寺になっておりました。
徳一大師開山の名刹と云われた高松山も時の流れには勝てませんでした。
山の中ですから財力がありません。
まずはお金がなくては何もできませんでした。
本堂もガタガタでした。畳もボロボロでした。


高松山は比叡山でもよく知られており、いったいどんなところかと
興味をもって訪れましたが、
来た当時は、皆さんがラジオ体操した広場は、何十メートルの断崖絶壁の沢でした。深い谷になっており、どこに寺があるのか
本堂も何もく見えませんでした。竹藪に囲まれ、うっそうと孟宗竹が茂り、石垣もなく土手は崩れ放題、


本堂の畳もボロボロ、まさに荒城の月の歌詞にでてくるようなありままでした。

私も比叡山の命令を受けてここに入って来ました。
わぁ~すごいお寺だなぁ~。
名前は有名ですから、歌に歌われた高松山こんな状況なのかなと、月日の流れはほんとに恐ろしいものだなと思ったものです。

またそこに住む人の生き方によってこんなに変ってしまうのかと。
私が来る前の住職は、1人は、りっぱなお寺に移って行かれました。
1人は学校の先生をやっておりました。

学校の先生をしたほうが生活も安定するし、

そのあとの住職としてこの寺にまいりました。

初めてこのお寺に来た時に夜、仕事場からまっすぐ帰って、どこにも家がありませんから、あなたあなた「家どこにあるの?」あかりが見えないわけですから、
あ~ここに自分が住むかなと思ったのかと思います。
ずいぶんがんばってやってきました。いま全国で舞踊のナンバーワンの踊り手ですから。やればできるんですね。

環境とか条件がとかというのは、あまり私は云わない方がいいのではないかな。

やっぱり基本は自分だな。

やっぱり人が場所を変える。建物がいくら立派でもそこに住む人が信念がなければやっぱりいずれ崩壊してしまうのではないかと思います。

すべて人だなというのが私の実感です。

このお寺に来てからよういではないわけですから、どうやってこの寺を復興するかなと考えた・・・・



http://plaza.rakuten.co.jp/2008901/diary/200904190001/

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