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伊根の舟屋めぐり2

伊根湾に立ち並ぶ船の収蔵庫と住居を兼ね備えた舟屋です。(再アップです)

投稿者:サイト名 hotomeki
投稿日時:2013.6.29. 16:38
視聴回数:395回
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カテゴリ: 地域   映像作品   国内旅行  
タグ: 伊根の舟屋   民家   伝統的建造物   伊根湾   伊根町  

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風が通る不思議な防音板

風通しが良い、通気性のある穴を開けても防音効果が得られる技術を発明しました。従来は、密閉した扉や壁で遮断するのが常識でしたが、その必要はなくなり、風圧対策が必要な防音壁コストが大幅に軽減できたり、住居や居酒屋で間仕切りをしてもエアコンの風が抜けて、省エネ効果が期待できます。

投稿者:サイト名 mainichi
投稿日時:2012.9.4. 10:46
視聴回数:718回
お気に入り登録:0
カテゴリ: 全国   ビジネス   エコロジー   ビジネス  
タグ: 新幹線   ジェット機     交通   騒音   防音     空気     JET   鉄道   遮音   吸音   声援   発電機   JAZZ     住居   防音壁   カーテン   コンサート   減音   歓声   雑音  

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Vivaldi Gloria in D Major RV 589(お話です)「ユダヤ教ラビ派カライ派」「タルムード:政府の価値」

Vivaldi Gloria in D Major RV 589 (お話です) 「ラビのユダヤ教のラビ派とサラセン帝国(イスラム系)のユダヤ教カライ派について」「スペインのキリスト教圏のユダヤ教のスファラド系と欧州のキリスト教圏のユダヤ教のアシュケナーズ系について」「スファラド系合理主義者とアシュケナーズ系神秘主義者のマイモニデス論争(マイモニデスが示した律法の再説ミシュナー・トーラーのミシュナ注解の十三か条)について」「ユダヤ啓蒙主義(ハスカラー)につて」「タルムード」「政府の価値」

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.7.1. 23:45
視聴回数:11626回
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カテゴリ: 暮らし全般   エンタメ全般   教育全般  
タグ: Vivaldi   Gloria   in   D   Major   RV   589   (お話です)   「ラビのユダヤ教のラビ派と   サラセン帝国(イスラム系)の   ユダヤ教のカライ派について」   「スペインのキリスト教圏の   ユダヤ教のスファラド系と   欧州のキリスト教圏の   ユダヤ教のアシュケナーズ系について」   「スファラド系合理主義者と   アシュケナーズ系神秘主義者の   マイモニデス論争   (マイモニデスが示した律法の再説   ミシュナー・トーラーの   ミシュナ注解の十三か条)について」   「ユダヤ啓蒙主義(ハスカラー)につて」   「タルムード」   「政府の価値」   When   a   Jew   seeks   wisdom   「The   value   of   goverment」   The   importance   of   goverment   Law   enforcement   and   courts   An   eye   for   an   eye   The   perfect   goverment   The   evils   of   goverment   The   Bill   of   Rightst   All   are   created   equal   Unalienable   rights   The   secure   these   rights   Goverment   and   power   The   law   and   the   land   Creating   a   dream   「The   value   of   goverment:政府の価値」   ラビ・ハニナ   (Rabbi   Hanina)   は言った:政府の繁栄を祈りなさい   なぜならばそれに対する怖れがなければ   人は生きたままで互いを食べるであろうからである。   [   Avot   3:2   ]   The   importance   of   goverment   人々が住んでいるところの法律のシステムは   そこの人々のグループの価値に影響する。たとえそれが停止信号や鉄道信号のような小さなことであっても   それは基本的な価値に影響する   ---   社会のメンバーの安全を保護する価値に。停止信号や鉄道信号を建設することによって   我々自身の安全   我々の愛する人の安全   そして他人の安全   に対して我々の感心を行動の中に置く。価値を行動の中に置くことは政府の重要な一つの機能である   確かに政府を願ましくする機能である。   我々が個々に知っている言葉で   我々が政府を理解する最善の方法は   「Yetzer   HaRa(邪悪の衝動)」と「Yetzer   Tov(善の衝動)」との全体の質問を再び考えることである。トーラが我々に教えていることの一つは   「あなたの心の中で   あなたの隣人を憎んではなりません。」   (レビ記   19:17)   しかし   実際に他の人々を傷つけることから人々を防いでいるのは   まったく別のことである。「十戒」は数千年間存在してきている   そしていまだに毎日の新聞は   殺人や強盗   法廷で偽証を誓った人   他人をだましている人の記事でいっぱいである。明らかな事実は   我々の幾人かは我々の「Yetzer   HaRa」を制御しそれを役に立つ目的に向ける働きをしている一方   他の者はそうではない。彼らは   彼らの中にある「Yetzer   HaRa」を乱暴に走らせることを許している。酔っ払った運転手のように   その時   彼らは道路で他のあらゆる人にとって   危険になっている。   そんな人々から我々を保護するために   政府が作られている。我々が個々のレベルで   我々の「Yetzer   HaRa」を統治することを学ばねいけないということ同様に   「Yetzer   HaRa」が乱暴になっているレベルのグループを制御することが政府の一つの重要な目的である。   Law   enforcement   and   courts   政府が我々を効果的に保護するために   我々の各々は自分自身の自由な意志の幾らかを諦めなければなりません。どれだけ大きな力が政府に与えられるべきかについて継続的な大きな議論や論争がある。しかし   もし政府が我々を効果的に保護するならば   誰もが「幾らか」の力を諦めなければなりません   ということを我々は何の議論もなしで知ることができる。   この一つの良い例は   各個人としての報復の権利を放棄することである。報復はそのグループに破壊的である。AがBから盗みをしたとする   そしてそれからBが返礼にAから盗みをする   これでイーブンと言って。もしこれで終わるならばそれで結構なことであるが   けれども報復はめったに最初の不公平以上により公平にはならない。Bが報復する時   Aが彼から取ったよりも彼はAからより多く取るかもしれない。その時   Aは彼自身が報復の必要を感じる。すぐに   物は手から離れて   そしてAとBは互いに殺すという点にまでくる   ----   また   彼らの友人や親族がその行動に参加するかもしれない。   この種の事態を避けるために   警察や他の代理権の形で実行する法律を規定する力を我々は政府に許す。告訴が設定され聞かれる法廷と同様に。法律を実施する事務所や法廷はどちらも   我々すべてのために   個人よりもむしろグループによって最善に維持される力を代表している。   An   eye   for   an   eye   タルムードは   部分的には   行なわれてきた法廷の記録として見られる。ラビたちは政府の境界線を築くために   事例に事例を積み上げている。我々の例として   タルムードで扱われた古典的な報復の事例は   聖書のきまり文句である「目には目   歯には歯」   のまわりに集中してる。タルムードのラビたちが   「Yetzer   HaRa」のグループを制するために探していた政府とはどんなものかを見るために   次の議論を考えよう。   「目には目」   これは金での支払を意味する。あなたはそれが金での支払だと言うが   おそらくそれは実際に本当の目が没収されなければなりません。という意味だ!しかし   その人の目が一方は大きく他方が小さいとしたとする   そんな場合に「目には目」の法律を私はいかに適応することができるのか?...   あるいは   盲の人が他人の目をたたき出した場合は   またあるいは片足びっこの人が他人を片足びっこの人にした場合は   「目には目」の法律を私はいかに十分に満たすことができるのか?トーラはこう要求している   「あなたは同じ法律を適用せよ(レビ記24:22)」この意味は   あなたたちの全てに対して   法律が同じであるべきだということ。   [   Baba   Kamma   83b   ]   法律はいつも全ての人が同じであるとして扱われなければなりません。我々の基本的な価値は   全てが神によって平等に創造されていることである。もしそれがこの場合   ラビたちが議論した「目には目」の意味はただこうである:もし人が他人の目をたたき出したならば   その有罪人は彼が破壊した目を補償する金額を支払わなければなりません。   このように   社会の全てのメンバーの利益に法律を翻訳するために   政府が割り込む。目や足を失った人にとって   もし彼を傷つけた人が目や足を仕返しに失ったとしても   それは現実に善いことではない。金銭上の支払は   それが元の目や足を取り戻すことはできないが   少なくとも人が傷ついた時に生じた痛みや損失を埋め合わせるために   それはいくらかの方法に役立つ。   The   perfect   goverment   ラビたちはその日   各々の人が神の法律に従って自分自身を統治する時   を楽しみに待った。もし我々の全てがヒレルの原理   ---   「あなた自身が嫌なことを   他人にはするな」   ---   に従うならば   社会を制御する政府や統治者の必要はない。我々の各々は小型の政府であり   成功して「Yetzer   HaRa」を制し   良いことを行なうのに集中している。   このようにラビたちは日々の終わりを夢見た   各々の男も女も神の知恵と畏れの中で大きく成長し   もはや政府の必要がなくなった時を。しかし   彼らは夢想家であったけれども   そして彼らは世界が神だけで統治されるための計画をしていた一方で   ラビたちはまた現実主義者であった。人々が彼ら自身の「Yetzer   HaRa」の制御がまだできていないと彼らは認めていた。それで彼らは共通の政府の必要を認めた   「その理由はそれに対する怖れがないとき   人は生きたままで互いを食べるであろうからである」   「生きたままで互いを食べる」   この句はとても耳障りに見えるかもしれない。しかしそれは政府が働かない時に起こることの現実的な絵である。あの「Wild   West」としての19世紀のアメリカの西部のことを考えてみよう。法律や秩序は   破壊された方法で維持されていた。法律家たちは   彼らが反対した無法者たちのような全く同じ作法で行動した。その政府は   普通はより弱い者を殺す強い者の結果であった。   The   evils   of   goverment   ラビたちは   もはや政府を必要としない時の日を夢見た   その理由は政府から保護するものと期待していたその市民を   政府が「食べる」という事実を恐れていたからである。すなわち政府は力を成長させ統治されている人々からもっともっと多くの自由を奪い取る方法を持っている。預言者サミュエルの時代にさかのぼるユダヤの人々が   独裁主義の政府の悪を指摘してきている。   人々はサミュエルのところにやって来て   その時代には他の全ての国々がそうであったように   彼らを統治してくれる王様が欲しいと要求した。   「裁きを行なう王を与えよ」との彼らの言い分は   サミュエルには悪と写った。   そこで彼は主に祈った。主はサミュエルに言われた:民があなたに言うままに   彼らの声にしたがうがよい。その理由は彼らが退けたのはあなたではなくこの私だ   私が彼らの王として君臨することを退けているのだ。   [   サミュエル記上   8:6-7   ]   サミュエルはその時   彼らを統治する王を持つことの危険を人々に警告した。   あなたたちの上に君臨する王の権能は次の通りである。まず   あなたたちの息子を徴用する。それは   戦車兵や騎兵にして王の戦車の前に走らせ   千人隊の長   五十人隊の長として任命し   王のための耕作や刈り入れに従事させ   あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また   あなたたちの娘を徴用し   香料作り   料理女   パン焼き女にする。また   あなたたちの最上の畑   ぶどう畑   オリーブ畑を没収し   家臣に分け与える。...........その日あなたたちは   自分が選んだ王ゆえに   泣き叫ぶ。しかし   主はその日   あなたたちに答えてはくださらない。   [   サミュエル記上   8:11-14   18   ]   これは王の力そして咲きすぎた政府の力に対する古典的なユダヤ人の警告である。我々が   我々自身を統治することを学ぶ代わりに   我々の権利を放棄して政府を形成する時はいつでも   その政府は我々の上に力を得る。   聖書の中では   ユダヤ人の族長   士師/英雄   預言者   王が登場しますが   特に親しまれている人物を時代に合わせてまとめると大体このようになります。   聖書   族長   師士/英雄     預言者   創世記   アブラハム   イサク   ヤコブ   ヨセフ   (12部族)         出エジプト記   レビ記   民数記   申命記         モーゼ   アロン   ヨシュア記     ヨシュア       士師記     ギデオン   サムソン       サムエル記       サウル   ダビデ   サムエル   列王記   歴代誌       ソロモン   アハブ   ...   エリア   エリシャ   ...   イザヤ書       ウジヤ   ヒゼキア   ...   イザヤ   ユダヤ人の最初の王様となったのは「サウル王」ですが   なぜ民は王を必要としたか   もう一度   サムエル記を読んで見ましょう。   サムエル記上   7:7~7:10   ペリシテの領主たちはイスラエル攻め上ってきた。イスラエルの人々はそのことを聞き   ペリシテ軍を恐れて   サムエルに乞うた。「どうか黙っていないで下さい。主がわれわれをペリシテ人の手から救ってくださるように   われわれの神   主に助けを求めて叫んでください。」サムエルはまだ乳離れしない子羊一匹を取り   焼き尽くす献げ物として主にささげ   イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に   ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んできたが   主がこの日   ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ   彼らを混乱に陥れたので   彼らはイスラエルに打ち負かされた。   サムエル記上   8:1~8:9   サムエルは年老い   ....イスラエルの長老たちは   全員集まり   ラマのサムエルのもとの来て   彼に申し入れた。「あなたはすでに年を取られ   息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ   ほかのすべての国々のように   われわれのために裁きを行う王を立ててください。」裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は   サムエルの目には悪と映った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに   彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上がった日から今日に至るまで   彼らのすることといえば   わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし   彼らにはっきり警告し   彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」   こうして   預言者サムエルは主の指示に従い   若者のサウルを初代イスラエルの国王に任命することになったわけです。その後はダビデ王   ソロモン王が統治してイスラエルは繁栄するわけですが   神が言っていたように   その後の王たちは主の道をはずれて行き   ついにはイスラエルの国は滅びてしまう。   The   Bill   of   Rightst   聖書の時代には   王たちはトーラそれ自身によって幾分か制御されていた。   王がイスラエルの上に君臨するときは   王の最初の仕事は彼自身の手によって文書のトーラを全て書き写すことが義務であった   これは王が後になってから法律を知らなかったと主張できないように。   アメリカでは   我々の政府は憲法によって制御される   そして我々の基本的な権利は   「the   Bill   of   Rights」と呼ばれる憲法への最初の10の修正条項によって保護されている。ここには各々の人に   礼拝   演説   出版   集会   政府への請願   その自由の保証がある。さらに   兵役に服する権利   兵隊に対する住居を準備しなければならないことからの自由   不当な捜索や捕捉からの自由   犯罪に対する告発無しに監禁されることからの自由   同一犯罪に対して二度も裁判されることからの自由   自分自身に対して証言しなければならないことからの自由   そして「生命   自由あるいは繁栄が   法律の当然の進行無しにはく奪される」ことからの自由   を含む。The   Bill   of   Rights   はまた   公平な陪審によって素早く公開の裁判への我々の権利を護衛する   そして限度を超えた保釈金や罰金   そして「残酷で異常な刑罰」を禁止する。   法律のシステムは人々の価値に影響すると言って   我々はこの章を始めた。   The   Bill   of   Rights   の場合は   これらの価値はもっと初期の文書によって公に発表されている:第2回大陸議会(the   Second   Continental   Congress)で   1776年7月4日   独立宣言が採用された。   我々はこれらの真実を自明のものとして支持する:全ての人は平等に造られている   彼らは創造主によって確実な権利を授かっている   これらの中には生命   自由そして幸福の追及がある   ---   これらの権利を安全にするために   政府機構が人々の中に制定される   統治の同意から彼らの正しい力を引き出すように。   これは要点であるが   政府の位置付け   それを造り出す人々の位置付けについての表現である。   All   are   created   equal   独立宣言は   「全ての人は平等」   これが自明であると宣言することによって   始まっている。しかし   それはいつも自明であるということではなかった。エジプトでは   どんな平民もが自分を王様と平等とは考えてはいなかった。王様は神の人であり   分離され   他の全ての人々の上にあると考えられていた。誰一人として王様と平等ではなかった。   他方   イスラエルの王国がその最も偉大な力があって   王が最も力があった時でさえ   王は決して神とは混同されなかった。預言者ナタン(Nathan)はダビデ王を非難するための自由を感じていた:ダビデ王が   他の男の妻を盗み取りその夫を戦いに送り戦死させるという罪を犯した   そのことの間違いを非難した。そして応答においては   「私は王であり   私がしたいことをするのだ」と答えるのとはずっと違っていた。ダビデ王はそうではなくて   神から自分の罪の許しを祈った。   エジプトの王とイスラエルの王との違いは   全ての人々は等しいとユダヤの人々は教えられていたことにあった。なぜ人は一人だけで創造されたのか?   なぜ神は一人だけの男を創造したのか?我々の賢者は説明している   「私は高貴な血統である」と誰もがこのように自慢しないためである。全ての人類が同じ人からの子孫である。全ては神の前に等しい。   [   Sanhedrin   38a   ]   第2回大陸議会(the   Second   Continental   Congress)の人々が   「全ての人々が等しく造られた」のは自明な真実であると宣言した時の表現がこのラビの教えでした。どんな人も他の人より神により近いということはない   このことを我々が記憶するときのみ   それは自明である。   Unalienable   rights(譲渡されない権利)   生命   自由そして幸福の追及への我々の権利は   どれも我々自身が夢見てきた単純な価値ではない。独立宣言に従ってさえも   我々の国の市民の法律の多くがそれを基本としており   我々の権利は我々の主なる神から引き出されている。   どんな人も他人にこう言う権利はない   「私はあなたが生きることを許さない」----まさに殺人者が犠牲者言うことである。神は命じている   「あなたは人を殺してはいけない」   どんな人も他人にこう言う権利はない   「私はあなたを自由にすることを許さない」----まさに主人が奴隷に言うことである。神は命じている   「あなたは自由でありなさい」そして   他人が幸福の追及のための権利をどんな人も禁止することはできない。裁判で偽って誓うとか   盗みとか   あるいは隣人を傷つけることによっても。これらの行動のすべては神によって禁止されている   そして幸福を追及する権利は天の法律   神の戒律   によって保証されている。   The   secure   these   rights   今や我々は   人々の中に政府が必要であるという宣言で   第2回大陸議会(the   Second   Continental   Congress)の人々の論考を   偉大な集団の人々の論考と同様に   理解することができる。その必要は   人間として生まれた全ての人々   神のイメージで創造された人々   の相続財産である権利を保証し安全にするためである。   我々の自由を確実にするために   我々は   我々の自由を制限し安全にするための権力を持った政府を樹立する。その政府から我々自身を保護するために   我々は   今度は   人々のための保護の法律を樹立する。政府の権力はその時   政府が保護するために想定された価値の権力よりも偉大になることは   決して許されるべきではない。   政府の権力は   どこからやって来るのか?それは我々から   「その人々」から来る。しかし我々が見てきたように   政府はそれ自身で先に行きすぎて   より偉大にそしてより強力に成長する傾向を持つ。政府の後ろにある価値の権力は   どこからやって来るのか?この権力は神   創造主   からの授かりものである。「全ての人間は平等に   ...彼らの創造主によって授けられた   確かな譲渡されない権利を持って」   Goverment   and   power   我々が見てきたように   政府に対する必要と   政府を疑うための必要との間に緊張がある。お互いを「相食べる」ことから我々を保つために   我々は政府を必要とする。しかし政府から我々を保護するために   我々はthe   Bill   of   Rightsやタルムードのような手段を必要とするのだ!   しばしば   何を行なおうが   政府は良いことだけを行っていると主張する。「良いこと」とは   「政府の敵」を死に追いやること   市民へ重税をかけること   あるいは戦争に戦うことを意味するかもしれない。ラバン・ガマリエル(Rabban   Gamaliel)   が我々に警告したのは不思議ではない。   権力に気をつけなさい。なぜならばそれらは自分たちにとって必要でなければ人に近寄ってこない。それらは自分たちが得になる時には友だちのように見えるが   人が苦境に陥っている時にはそれらは彼のそばに立ってはくれない。   [   Avot   2:3   ]   我々は真に権力と友だちになることはできない。   典型的な政治家の選挙を考えてみなさい。選挙の前は   候補者の全ては選挙民に約束をする。候補者は   彼らに叫ぶあらゆる人に向かって友だちのようであり機嫌がよい。彼らは不平に耳を傾け   物事を正しくし   それらをより良くすることを約束する。結局   我々の投票を必要としている。しかし選挙が終わるや否や   約束はまた全てしばしば忘れられてしまう。特に   危機の時代   全ての側に苦境が増えている時は   政府の役人たちは人々の興味どころではなく   政府自身の興味で行動する。   おそらく   詩編の一つがなぜこう言っているかがこのことである:君主に信頼をおいてはいけない   なぜならば彼らには助けがない。   [   詩編   146:3   ]   14世紀の注解者のナフミアス(Nahmias)は権力の友情について   次のたとえ話をした:     ある王が彼の将校の一人を昇進させた。毎日   王はこの将校の前に上って彼の首に接吻をしていた。最後に   王は彼を殺して言った。「将校の首が切り落とされ時に   刀が落ちるその場所に接吻をしていたのだ」   人々は言っている   「ライオンが歯をむき出した時に   ライオンが笑っていると考えてはいけない   それはむさぼり食うためだけなのだ。人間の王は   また   しばしば動物王国のライオンのようである」   サミュエルの警告   ナフミアスのたとえ話   そしてガマリエルの警告は全ての政府の行く道と関連している。どんな政府も全体的に信頼されることはない。我々は絶えず権力の進行を見張らなければなりません。   The   law   and   the   land   たとえそうであっても   タルムードの格言ではこう言う:   その土地の法律は   法律である。   [   Baba   Kamma   113a   ]   人は   政府を尊敬しなければなりません。   [   Mechilta   Bo   ]   ここで我々は   また   我々の解釈をバランスしなければなりません。その土地の法律はいつでも法律であるとは限りません。ハドリアン皇帝がトーラの勉強とユダヤ教の実施を禁止した時   ラビはローマの法律を無視しなければならなかった。その土地の法律が神のより高い法律と衝突する時は   すべての政府が統治する権利を得ているのは神の法律からであり   従わなければいけないのは神の法律である。   Creating   a   dream   我々の夢はトーラの法律   すなわち同情と親切   正義と公正   熟考と尊敬の法律   に従って統治される一つの世界である。   しかしそんな夢を現実にするために   我々は「国々の上の光」にならなければならない。   もしユダヤ人が「選ばれた」人々であるならば   それは我々がトーラのメッセージを全てに運んでいるからである。   トーラは   誰もが不平を持っていなかった場所で   人前で公開して与えられた。   もしそれがイスラエルの土地で与えられていたならば   世界の国々は言ったであろう   「この中に我々の場所がない」   それゆえトーラは荒野で与えられた   人前で公開して   そして誰もが不平を持っていなかった場所で。   それを受け入れたい人は誰でも   来て受け入れなさい。   [   Mechilta   Bahodesh   Yitro   ]   その仕事は偉大であり   我々はそれを完成する希望さえできない。   しかし   我々の世界に神の法律をもたらす責任を   我々の各々が感じなければならない   ---   トーラを教えること   そして戒律に従って行動することに責任を。   我々は   共同社会から我々を分離すべきではないだけでなく   そこにできる限り多く参加しなければならない   そしてその地の法律をトーラの戒律にますます多く順応させなければならない。   その時には   タルムードの格言「その土地の法律は   法律である」   に従う時に何の問題も恐れもない。   Reflection   ラビたちは   二つの反対する力を認めていた:   人々が「生きたままで互いを食べる」ことがないように   政府を必要とすること。   そして政府が神の統治の前に敬意を払う時を我々が夢見て生き続ける間に   権力の進行を注意深く監視する必要があること。   我々の価値は   我々が通過させ従う法律の種類に反映されている。   それゆえに   地上に神の統治がやって来るために働くことは   共同体から我々自身を分離しないことを意味する。   それは   トーラの法律に対する採用を創造するために   共同体の中で働くことを意味する。   それは   その土地の法律にユダヤ人の教えの価値を反映させるために   懸命に努力することを意味する。   我々はユダヤ人として世界の中に我々を巻き込むことを要求される。   政府の何かが悪いと感じた時   我々は立ち上がって戦わなければならない。   また   我々が信じているところの方針にそのシステムを持ってゆくために   我々が住んでいる所の法律のシステムの範囲内で仕事をすることを   学ばなければならない。   簡潔に言うと   我々は良い市民で責任ある態度で   「その政府の繁栄を祈る」ことをしなければならない。   ラビ・オシャヤ(Rabbi   Oshaya)は教えた:   人間の実行において   人である王が宮殿を建てる時   それは王自身の技術ではなく建築家の技術で建てている。   さらに建築家は彼自身の頭からではなく   従業員が煙突やドアの配置をどうすればよいか知るために   計画し図面を作る。   このように   神は   トーラを相談相手とし   そしてその後に世界を創造した。   [   Genesis   Rabbah   1:1   ]   それと同じく   世界がいかに最善に統治されるかを知りたいならば   正しい世界の建築のための建築家の計画   すなわち   「トーラの法律」を相談相手にしなければならない。   実際に   全体の世界が基本にしているもの   すなわち   「神一人の政府」よりも良い政府はありえない。  

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合唱組曲島よ(朗読) (お話です)ミシュナ・タルムード「アヴォート(Avot)」篇の共同社会について

合唱組曲島よ(朗読) (お話です) ミシュナー・タルムード 「ピルケ・アヴォート (Pirke Avot)」篇 ◎The struggle within us (我々の内での苦闘)」 The forces within us 選択をする時に、われわれの中で2つの力が働いていると、ラビは信じている。一つは善をしようとする我々の欲求、他方は悪をしようとする我々の欲求である。善をしようとする衝動あるいは傾向を「Yetzer Tov」とラビは名づけた。Yetzerはヘブライ語で衝動(impulse)を意味し、Tovは善(good)を意味する。他方、悪をしようとする衝動あるいは傾向を「Yetzer HaRa」名づけた。Raはヘブライ語で(evil)を意味する。(「Yetzer Tov=善の衝動」、「Yetzer HaRa=悪の衝動」) われわれの各々の人は、これら2つの衝動をいかに操作するかに関わる。「Yetzer Tov」は正義の人をコントロールし、他方「Yetzer HaRa」は邪悪をコントロールする。しかしタルムードでは、両方の衝動が平均的な人をコントロールすると言う。(Berachot 61a) 我々のほとんどはこの3番目のカテゴリーにあり、全体に正義でもなければ、また全体に邪悪であるわけでもない。   ◎Needing impulses for both right and wrong しかし、何が正しいことで、何が悪いことか、われわれはいかにして判断するのであろうか。どうやって一方の衝動から他方を識別するのか。選択はいつも明瞭であるというものではない。いつでも邪悪な一つの選択があり、いつでも正義の一つの選択がある、ということをラビが暗示している時、単純に示しすぎてはいないのか。ラビの理解というのは実際にはもっとずっと複雑であったのだ。彼らは「Yetzer HaRa」が邪悪だとは信じていなかった。それはちょうど邪悪に向かった傾斜であるのだ。彼らは、「Yetzer HaRa」が多くの局面で有用になりえる、ということまでも理解している。このことを示すために、彼らはこんなたとえ話を言っている。 昔、われらの賢者たちは「Yetzer HaRa」を捕まえて、それを金の鎖で縛り上げた。最初彼らは自分たちでたいへん喜んでいた。盗みは止り、殺人は無くなった。人々は友好的になり、互いを愛するようになった。嫉妬は無くなり、イスラエルの全地においてイスラエル人と隣人との間の論争も無くなった。死ぬ者はいなくなった。 しかし突然、彼らは奇妙な出来事を見るようになり始めた。人々はとても満足したので精を出して働く心配がなくなった。競争が無くなったので人々は働くことを止めてしまった。新しい家はもう作られなくなった。人々はもはや、結婚もしないで、子供を欲しがらなくなった。ラビでさえ不精になり始めた。その時、ラビは「Yetzer HaRa」が世界において如何に必要であったかを理解した。それで彼らは縛ってあった鎖を壊し、それを自由にした。 (Genesisi Rabbah 9:7) ■ピルケ・アボット (Pirke Avot)編 以外の律法 ■ ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代の新聞はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。 <十七>

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.6.1. 00:27
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タグ: 合唱組曲島よ(朗読)   (お話です)   ミシュナー・タルムード   「ピルケ・アヴォート   (Pirke   Avot)」篇   ◎The   struggle   within   us   (我々の内での苦闘)」   The   forces   within   us   選択をする時に   われわれの中で2つの力が働いていると   ラビは信じている。一つは善をしようとする我々の欲求   他方は悪をしようとする我々の欲求である。善をしようとする衝動あるいは傾向を「Yetzer   Tov」とラビは名づけた。Yetzerはヘブライ語で衝動(impulse)を意味し   Tovは善(good)を意味する。他方   悪をしようとする衝動あるいは傾向を「Yetzer   HaRa」名づけた。Raはヘブライ語で(evil)を意味する。(「Yetzer   Tov=善の衝動」   「Yetzer   HaRa=悪の衝動」)   われわれの各々の人は   これら2つの衝動をいかに操作するかに関わる。「Yetzer   Tov」は正義の人をコントロールし   他方「Yetzer   HaRa」は邪悪をコントロールする。しかしタルムードでは   両方の衝動が平均的な人をコントロールすると言う。(Berachot   61a)   我々のほとんどはこの3番目のカテゴリーにあり   全体に正義でもなければ   また全体に邪悪であるわけでもない。   ◎Needing   impulses   for   both   right   and   wrong   しかし   何が正しいことで   何が悪いことか   われわれはいかにして判断するのであろうか。どうやって一方の衝動から他方を識別するのか。選択はいつも明瞭であるというものではない。いつでも邪悪な一つの選択があり   いつでも正義の一つの選択がある   ということをラビが暗示している時   単純に示しすぎてはいないのか。ラビの理解というのは実際にはもっとずっと複雑であったのだ。彼らは「Yetzer   HaRa」が邪悪だとは信じていなかった。それはちょうど邪悪に向かった傾斜であるのだ。彼らは   「Yetzer   HaRa」が多くの局面で有用になりえる   ということまでも理解している。このことを示すために   彼らはこんなたとえ話を言っている。     われらの賢者たちは「Yetzer   HaRa」を捕まえて   それを金の鎖で縛り上げた。最初彼らは自分たちでたいへん喜んでいた。盗みは止り   殺人は無くなった。人々は友好的になり   互いを愛するようになった。嫉妬は無くなり   イスラエルの全地においてイスラエル人と隣人との間の論争も無くなった。死ぬ者はいなくなった。   しかし突然   彼らは奇妙な出来事を見るようになり始めた。人々はとても満足したので精を出して働く心配がなくなった。競争が無くなったので人々は働くことを止めてしまった。新しい家はもう作られなくなった。人々はもはや   結婚もしないで   子供を欲しがらなくなった。ラビでさえ不精になり始めた。その時   ラビは「Yetzer   HaRa」が世界において如何に必要であったかを理解した。それで彼らは縛ってあった鎖を壊し   それを自由にした。   (Genesisi   Rabbah   9:7)   ■ピルケ・アボット   (Pirke   Avot)編   以外の律法     ユダヤ王は真の世界の法王   世界にまたがる教会の総大司教となる。だが   一方で   われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に   後にはわれわれの宗教で再教育する間   われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども   教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合   一般的には   われわれの現代の新聞はゴイムの国家問題   宗教   ゴイムの無能さを断罪し続けるが   常に   わが民天与の才能を振い   あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく   罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。   <十七>     重ねて述べるが   臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては   盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?   彼らが王者に見たいのは力     力の権化なのである。   <二十三>     ダヴィデ王の子孫のうちの数人が   相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には   政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが   常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は   このような秘義を授けられたことがない者には   政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ   何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ   私がこれまでに述べたような計画の実際化や   政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば   人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。   <二十四>     たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ   われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて   最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが   将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には   万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので   あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に   前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは   そのためである。   <二十四>     ユダヤ王は自分の感情   とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも   荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも   明晰に見る力を殺ぎ   思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は   人類の支柱であり   人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。   <二十四>     あなたは   あなたの神   主の聖なる民である。あなたの神   主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び   御自分の宝の民とされた。(申命記   七章六)     主はあなたの意のままにあしらわせ   あなたが彼らを撃つときは   彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず   彼らを憐れんではならない。   (申命記   七章二)。     掟の言葉より法師の言葉を敬え。   <アシ法師>     汝知るべし   法師の言葉は予言者の言葉より美し   と。   <アシ法師>     もし法師   汝の右の手を左の手と言ひ   左の手を右の手と言ふとも   彼の言葉に違ふべからず。   <アシ法師>     犬は異邦人より勝れたるものなり。   <アシ法師>     拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は   ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして   ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち   「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして   ゴイの失える物は然らず。その理由は   ゴイは神に属する者に非ずして   地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は   この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして   その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく   他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。   <ゲルソン法師>     ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽   住居   田園は不潔である。   (トセフタ・ミクワト   vの一)     ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく   持てば神の名において不名誉となるだろう。   (シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   三四八)     ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが   ゴイに返すことは禁じられている。   (シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   二六六の一)。     タルムードの誡において神は命じて曰く   ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし   と。これ   彼らが借りたる金により利する事なからんため   かつまた   我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく   むしろ損害を与えんがためなり。   <モシェー・バル・マエモン>     ゴイにわれらの信教を教える者は   ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば   かれらは公然とわれらを殺すだろう。   (リブル・デヴィッドの書   三七)  

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アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です) 2 ユダヤ教徒とイスラム教とクルアーンの第17章イスラエル(メッカ啓年)について

アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 2  ユダヤ教についてとイスラエルの歴史についてとキリスト教とユダヤ教の歴史について タルムード ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが、冒頭の5書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに、モーセが神から授けられた法で、成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり、この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと、ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。  タルムードは、6部構成、63編から成る文書群で、現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活、信仰の基となっているといわるものです。 ■ ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代社会はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七> ■ 重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか? 彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三> ■ ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四> ■ たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四> ■ ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四> ■ あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六) ■ 主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 (申命記、七章二)。 ■ 世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師> ■ 神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート) ■ 人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.5.31. 12:43
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タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス   (お話です)   2   ユダヤ教についてと   イスラエルの歴史についてと   キリスト教とユダヤ教の歴史について   タルムード   ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが   冒頭の5書   「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに   モーセが神から授けられた法で   成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり   この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと   ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と   時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。   タルムードは   6部構成   63編から成る文書群で   現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており   ユダヤ教徒の生活   信仰の基となっているといわるものです。     ユダヤ王は真の世界の法王   世界にまたがる教会の総大司教となる。だが   一方で   われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に   後にはわれわれの宗教で再教育する間   われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども   教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合   一般的には   われわれの現代社会はゴイムの国家問題   宗教   ゴイムの無能さを断罪し続けるが   常に   わが民天与の才能を振い   あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく   罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>     重ねて述べるが   臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては   盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?   彼らが王者に見たいのは力     力の権化なのである。<二十三>     ダヴィデ王の子孫のうちの数人が   相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には   政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが   常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は   このような秘義を授けられたことがない者には   政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ   何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ   私がこれまでに述べたような計画の実際化や   政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば   人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>     たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ   われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて   最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが   将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には   万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので   あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に   前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは   そのためである。<二十四>     ユダヤ王は自分の感情   とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも   荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも   明晰に見る力を殺ぎ   思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は   人類の支柱であり   人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>     あなたは   あなたの神   主の聖なる民である。あなたの神   主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び   御自分の宝の民とされた。(申命記   七章六)     主はあなたの意のままにあしらわせ   あなたが彼らを撃つときは   彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず   彼らを憐れんではならない。   (申命記   七章二)。     世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして   他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>     神言い給う   我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)     人間の獣に優れる如く   ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>     もしイスラエル人無かりせば   この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば   天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>     選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく   他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>     「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は   今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち   すべての民を喰い尽くし   すべての民より掠奪することは   彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし   と。<ベハイ法師>     神はユダヤ人にすべての方法を用い   詐欺   強力   高利貸   窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一   トラクト一   ディスト四)     吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫   一八六四年)     律法(聖書)は多少とも重要ではあるが   長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。     掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>     汝知るべし   法師の言葉は予言者の言葉より美し   と。<アシ法師>     教法師の言葉は   生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>     教法師の日常の言辞も   誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ   一五一六年版)     もし法師   汝の右の手を左の手と言ひ   左の手を右の手と言ふとも   彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>     タルムードの決定は   生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは   現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン   第五書の注解)     法師の言葉を嘲る者は   地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>     ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも   さらに悪い。(ミズナ   サンヘドリン   十の三)。     ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン   二一のb)     トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>     なんじらは人類であるが   世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア   一四六の六)。     汝等イスラエル人は人間なれど   他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>     イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば   豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>     イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>     悪魔と世界の諸民族とは   畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>     犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>     聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)     レビ記十九章十一節には   汝は汝の隣人に不法を為すべからず   と記されたり。この文句は   ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。     ゴイが住んでいる家を見て   人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード   ベラチョット   五八の六)。     汝殺すなかれ   との掟は   イスラエル人を殺すなかれ   との意なり。ゴイ   ノアの子等   異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>     神はイスラエル人を審くには立ちてなし   尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して   厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>     「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど   人々はこれをなおよく熟考し   また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時   イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが   他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>     イスラエル人は   他のすべての民に対し優越する者なり   他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに   イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。   <アブラハム・ゼバ法師>     一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く   また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>     ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが   ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書   Ⅷの五)     悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは   正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>     ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>     拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は   ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして   ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち   「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして   ゴイの失える物は然らず。その理由は   ゴイは神に属する者に非ずして   地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は   この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして   その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく   他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>     ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽   住居   田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト   vの一)     九歳と一日以上のゴイの少年と   三歳と一日以上の少女は   不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ   タルムード   t・v   一一頁)     他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)     ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には   その責任を負うべきであるが   ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ   アブダ・ザラ八の五)     〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは   ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと   盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ   アボダ・ザラ   Ⅷの五)。     すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     ユダヤ女を求め得る場合には   異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし   悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時   報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば   報酬無き場合にも彼らを救出し   また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者   罪を犯す者   掟と預言者を否む者は   これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば   その如くなせ。しかするを得ざる場合には   彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時   その井戸に梯子あらば   これを取去り   直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い   かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     成人せる非ユダヤ人奴隷は   牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     すべてゴイは月經時の子にして   根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>     キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>     改宗してユダヤ人となれる者は   同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項   その地所を非ユダヤ人に売りたる者   第九項   非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者   等。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)   キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ   同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     他の宗教に改宗したる者は   盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     汝知るべし   イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は   その信仰には種々あれども   ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>     決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は   申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか   あるいは河に溺るるを見るとも   これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>     偽善はこの世においては許さる。すなわち   背神者に対し慇懃になし   彼らを敬い   彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち   必要上止むを得ざる場合   恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>     すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして   彼を賎しみ   出来得べくんばその亡ぼし   また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>     他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども   真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは   ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く   劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして   この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>     偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>     非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   一一六の五)。     ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ   一四のb)。     ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく   持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   三四八)     ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが   イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが   ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ   サンヘドリン   五七)。     ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが   ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   二六六の一)。     ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば   かく為しても   罪を犯したるには非ずして   戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     タルムードの誡において神は命じて曰く   ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし   と。これ   彼らが借りたる金により利する事なからんため   かつまた   我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく   むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>     非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ   第四巻救いの岩)     ゴイに向って誓いを立てた者は   盗賊であれ税吏であれ   責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット   一一)     結婚   誓約   約束を取り消すには   ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが   ラビが不在の場合は   他のユダヤ人を三人呼び集め   かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ     一の二四七)     ゴイにわれらの信教を教える者は   ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば   かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書   三七)     律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ   一七一の二)     ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら   ただただ嘘の説明をするべきであり   ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド   三七)     ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら   偽りの誓いを立てなければならない。そして   そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット   ジュル・ダの書   一七)     タルムードを学ぶゴイ   それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン   五九   ア・アボダ・ゾラ   八の六。ザギガ   一三)     神よ   あなたを信ずることなく   その御名を称えざる民どもの上に   あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ   あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし   粉々に打ち砕き給え。おお神よ   かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶   四散   殱滅し給え。誅殺し給え!   今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス   クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム   『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁   『ミンハギン』二三頁   『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)     (新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし   その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ   彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)     何者かが三度ユダヤ人を裏切るか   もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は   賢人会議はその男を放逐しなければならない。     裏切り者を放逐せんがために   何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)     涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は   神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>     自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば   策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     トーラーを持たざる者と予言する者とを   すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は   剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   四二五の五〇)。     キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>   クルアーン   <特大>   第17章   イスラエル   (メッカ啓年)</特大>   慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。   17-1.   かれに栄光あれ。そのしもべを   (マッカの)聖なるマスジドから   われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに   夜間   旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。   17-2.   われはムーサーに啓典を授け   イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」   17-3.   われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。   17-4.   またわれは啓典の中で   イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し   必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」   17-5.   それで2つの中最初の時(預言)が来た時   われはしもべの中の武勇に富んだ者を   あなたがたに遣わし   かれらは家々の最も奥に入り   約束は成し遂げられた。   17-6.   次いでわれは   あなたがたがかれらに勝利を得るようにし   またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。   17-7.   (そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら   自分の身のために善を行うのであり   また悪を行っても   自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時   あなたがたの顔は曇り   最初の時のように   かれらはマスジドに侵入し   凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。   17-8.   或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば   われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために   地獄を牢獄として設けた。   17-9.   本当にこのクルアーンは   正しい(道への)導きであり   また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。   17-10.   また来世を信じない者には   われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。   17-11.   人間の祈りは幸福のためであるべきなのに   かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。   17-12.   われは夜と昼の2つの印を設け   夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして   あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ   また年数を知り   (暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。   17-13.   一人ひとりに   われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には   (行いの)記録された一巻が突き付けられ   かれは開いて見る。   17-14.   (かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは   あなた自身が自分の清算者である」   17-15.   誰でも導かれる者は   只自分の魂を益するために導かれ   また誰でも迷う者は   只自分を損うために迷う。重荷を負う者は   他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。   17-16.   われが一つの町を滅ぼそうとする時は   かれらの中で裕福に生活し   そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し   言葉(の真実)がかれらに確認されて   それからわれはそれを徹底的に壊滅する。   17-17.   ヌーフの後   如何に多くの世代を   われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は   そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ   見ておられる方として万全である。   17-18.   誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には   われも急いでかれのために   われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ   恥辱を被り   (慈悲を)拒否されるであろう。   17-19.   しかし誰でも来世を望み   それに向かい精出し努力し   信仰する者   これらの者の努力は嘉納される。   17-20.   われは凡ての者に   これらの者にもまたかれらにも   あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。   17-21.   見なさい。われはある者に   如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では   必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。   17-22.   アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと   あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。   17-23.   あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが   あなたと一緒にいて老齢に達しても   かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず   親切な言葉で話しなさい。   17-24.   そして敬愛の情を込め   両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て   「主よ   幼少の頃   わたしを愛育してくれたように   2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。   17-25.   主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば   かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し   本当に寛容である。   17-26.   近親者に   当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。   17-27.   浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。   17-28.   あなたは主からの慈悲を請い願うために   仮令かれらから遠ざかっていても   あなたはかれらに対し優しく語りなさい。   17-29.   あなたの手を   自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き   恥辱を被り困窮に陥ってはならない。   17-30.   本当にあなたの主は   御心に適う者への報酬を豊かにされ   また控えられる。かれはそのしもべに関し   本当に全知にして全視であられる。   17-31.   貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは   本当に大罪である。   17-32.   私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。   17-33.   正当な理由による以外は   アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば   われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。   17-34.   孤児が力量(ある年齢)に達するまでは   最善(の管理)をなすための外   かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は   (審判の日)尋問されるのである。   17-35.   それからあなたがたが計量する時は   (買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり   その方が結果として最良になる。   17-36.   またあなたは   自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚   視覚   また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。   17-37.   また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず   また(背丈が)山の高さにもなれない。   17-38.   これらの凡ては悪事で   あなたの主は   これを憎まれる。   17-39.   これらは   主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。   17-40.   (多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け   (御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。   17-41.   本当にわれはこのクルアーンで   かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは   只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。  

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アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です) 1 ユダヤ教徒とイスラム教とクルアーンの第17章イスラエル(メッカ啓年)について

アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 1  ユダヤ教についてと イスラエルの歴史についてと キリスト教とユダヤ教の歴史について タルムード ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが、冒頭の5書、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに、モーセが神から授けられた法で、成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり、この口伝は3世紀頃に文書におこされ「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと、ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。  タルムードは、6部構成、63編から成る文書群で、現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活、信仰の基となっているといわるものです。 ■ ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合、一般的には、われわれの現代社会はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七> ■ 重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか? 彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。<二十三> ■ ダヴィデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四> ■ たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。<二十四> ■ ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四> ■ あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(申命記、七章六) ■ 主はあなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 (申命記、七章二)。 ■ 世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師> ■ 神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート) ■ 人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.5.30. 19:34
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カテゴリ: 暮らし全般   エンタメ全般   教育全般  
タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス   (お話です)   1   ユダヤ教についてと   イスラエルの歴史についてと   キリスト教とユダヤ教の歴史について   タルムード   ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが   冒頭の5書   「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに   モーセが神から授けられた法で   成文におこされずに口伝で伝えられたものがあり   この口伝は3世紀頃に文書化され「ミシュナー」と呼ばています。このミシュナーと   ミシュナーをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と   時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。   タルムードは   6部構成   63編から成る文書群で   現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており   ユダヤ教徒の生活   信仰の基となっているといわるものです。     ユダヤ王は真の世界の法王   世界にまたがる教会の総大司教となる。だが   一方で   われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に   後にはわれわれの宗教で再教育する間   われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども   教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合   一般的には   われわれの現代社会はゴイムの国家問題   宗教   ゴイムの無能さを断罪し続けるが   常に   わが民天与の才能を振い   あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく   罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>     重ねて述べるが   臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては   盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?   彼らが王者に見たいのは力     力の権化なのである。<二十三>     ダヴィデ王の子孫のうちの数人が   相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には   政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが   常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は   このような秘義を授けられたことがない者には   政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ   何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ   私がこれまでに述べたような計画の実際化や   政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば   人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>     たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ   われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて   最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが   将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には   万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので   あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に   前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは   そのためである。<二十四>     ユダヤ王は自分の感情   とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも   荒々しい本能に精神をしのがせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも   明晰に見る力を殺ぎ   思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。ダヴィデの聖なる子孫である全世界統治王その人は   人類の支柱であり   人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。<二十四>     あなたは   あなたの神   主の聖なる民である。あなたの神   主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び   御自分の宝の民とされた。(申命記   七章六)     主はあなたの意のままにあしらわせ   あなたが彼らを撃つときは   彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず   彼らを憐れんではならない。   (申命記   七章二)。     世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして   他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはことごとく空皮に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師>     神言い給う   我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあらず。人間なるイスラエル人の為に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート)     人間の獣に優れる如く   ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ゼバ法師>     もしイスラエル人無かりせば   この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば   天の諸星も昇らざるべし。これエレミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師>     選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく   他の国人はロバに等し。<アバルバネル法師>     「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命記七ノ十六)は   今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち   すべての民を喰い尽くし   すべての民より掠奪することは   彼らすべてが吾等の権力下に置かれる時に始まるべし   と。<ベハイ法師>     神はユダヤ人にすべての方法を用い   詐欺   強力   高利貸   窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一   トラクト一   ディスト四)     吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるものなり。(イスラエル文庫   一八六四年)     律法(聖書)は多少とも重要ではあるが   長老方が聖典に記された言葉は常に重要である。     掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師>     汝知るべし   法師の言葉は予言者の言葉より美し   と。<アシ法師>     教法師の言葉は   生ける神の言葉なり。<ベハイ法師>     教法師の日常の言辞も   誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ   一五一六年版)     もし法師   汝の右の手を左の手と言ひ   左の手を右の手と言ふとも   彼の言葉に違ふべからず。<アシ法師>     タルムードの決定は   生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは   現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン   第五書の注解)     法師の言葉を嘲る者は   地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師>     ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも   さらに悪い。(ミズナ   サンヘドリン   十の三)。     ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン   二一のb)     トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン>     なんじらは人類であるが   世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・メチア   一四六の六)。     汝等イスラエル人は人間なれど   他の民族は人間に非ず。彼らの魂穢れし霊より出でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師>     イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものなれば   豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師>     イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるることなし。<アブラハム・ゼバ法師>     悪魔と世界の諸民族とは   畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師>     犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師>     聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュルハン・アルフ」の注釈書より)     レビ記十九章十一節には   汝は汝の隣人に不法を為すべからず   と記されたり。この文句は   ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。     ゴイが住んでいる家を見て   人はこう言った。〝神は傲慢の家を亡ぼすだろう〟。そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。〝復讐の神が顕現されたのだ〟(バビロニアン・タルムード   ベラチョット   五八の六)。     汝殺すなかれ   との掟は   イスラエル人を殺すなかれ   との意なり。ゴイ   ノアの子等   異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン>     神はイスラエル人を審くには立ちてなし   尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族を審く時は座して   厳格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師>     「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど   人々はこれをなおよく熟考し   また味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時   イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが   他の民は掟を受入れざりしによりこれらの美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師>     イスラエル人は   他のすべての民に対し優越する者なり   他の諸族の中には賢く利き者唯一人も居らざるに   イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。   <アブラハム・ゼバ法師>     一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く   また神によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師>     ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが   ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書   Ⅷの五)     悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは   正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬなり。<ゲルソン法師>     ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン>     拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は   ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにして   ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち   「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして   ゴイの失える物は然らず。その理由は   ゴイは神に属する者に非ずして   地の邪神に属する者なる故なり。故にゴイの失える総べての物は   この世にては再び見付けらるる事なき遺失物にして   その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく   他の民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>     ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽   住居   田園は不潔である。(トセフタ・ミクワト   vの一)     九歳と一日以上のゴイの少年と   三歳と一日以上の少女は   不潔とみなされる。(パーフォコヴィッツ   タルムード   t・v   一一頁)     他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)     ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には   その責任を負うべきであるが   ユダヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ   アブダ・ザラ八の五)     〝盗賊〟という言葉の解釈。ゴイは   ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと   盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だがユダヤ人はゴイに禁じられているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ   アボダ・ザラ   Ⅷの五)。     すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     ユダヤ女を求め得る場合には   異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳は心眼を閉ざし   悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど彼らが危険に面しまた死に瀕せりとて彼らを救うことは許されず。例えば彼らの一人水に落ちたる時   報酬ある場合といえども彼を救い上ぐるべからず。また彼らを瀕死の病よりも癒すべからず・・・報酬ある場合といえども。しかれども吾等と彼らの間に敵意の生ずるを防止する為ならば   報酬無き場合にも彼らを救出し   また癒すことを許さる。しかれども偶像を拝む者   罪を犯す者   掟と預言者を否む者は   これを殺すべし。しかして公然と殺すを得ば   その如くなせ。しかするを得ざる場合には   彼らの死を促進せよ。例えば彼らの一人井戸に落ちたる時   その井戸に梯子あらば   これを取去り   直ちに再び持来るべしとの遁辞を用い   かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道を奪うべし。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     非ユダヤ人の証人たるところの証書はすべて無効なり。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     成人せる非ユダヤ人奴隷は   牧者なき家畜の如し。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     すべてゴイは月經時の子にして   根絶さるべきものなり。<ベハイ法師>     キリスト教徒は異教徒なり。<アバルバネル法師>     改宗してユダヤ人となれる者は   同様にユダヤ教に改宗せるその母あるいは伯母と婚姻するも差支えなし。改宗者は新たに生れたる者と見なされ得る故なり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     二十四項の罪あり。これに触るる者は除名さる。例えば第八項   その地所を非ユダヤ人に売りたる者   第九項   非ユダヤ人法廷においてその隣人(即ちイスラエル人)に対し不当なる証言を為せる者   等。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     非ユダヤ人及び奴隷も証言を為す資格なし。敵・混血児・裏切者・自由思想家・変節者(背教者)   キリスト教の洗礼を受けたる者はゴイ(非ユダヤ人)より更に悪しければ   同じく証言を為すを得ず。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     他の宗教に改宗したる者は   盗賊になりたると等し。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     汝知るべし   イエスの教に従いて迷えるキリスト教諸国民は   その信仰には種々あれども   ことごとく偶像礼拝者なり。故に彼らは偶像礼拝者相応に扱わるべし。これタルムードの説くところなり。<モシェー・バル・マエモン>     決して偶像礼拝者と事を共にするなかれ。また彼らを憫むべからず。その故は   申命記七章二節にその如く記されたればなり。故に非ユダヤ人が生命の危険に瀕するか   あるいは河に溺るるを見るとも   これを救助することは許されず。<モシェー・バル・マエモン>     偽善はこの世においては許さる。すなわち   背神者に対し慇懃になし   彼らを敬い   彼らに向いて「我汝を愛す]と言うもよし。すなわち   必要上止むを得ざる場合   恐怖に駆られたる場合は然り。<ベハイ法師>     すべてこれらの条項(三十箇条のユダヤ信仰箇條)を信ぜざる者は異教徒なり。故にかかる者を憎むは吾等の義務にして   彼を賎しみ   出来得べくんばその亡ぼし   また根絶するは当然の事なり。<アバルバネル法師>     他の諸族はイスラエル人と同じ姿を有すれども   真の人間に比ぶれは模造に過ぎず。彼らは   ダニエル書四の十四・十七に記されたる如く   劣等なる種類の人間なり。これに対しイスラエル人はアダム(人間)なる語の真の意味における高き価値ある人間にして   この故にまた単に人間とも呼ばるるなり。<シメオン・ハダルサン法師>     偶像礼拝者は畜獣と呼ばるべきものにしてただ最広義においてのみ人間と呼ばれ得るに過ぎず。<ロイベン法師>     非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     ゴイの財産は主なき物品のごとし。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   一一六の五)。     ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。(ババ・バトラ   一四のb)。     ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは金を持つべきではなく   持てば神の名において不名誉となるだろう。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   三四八)     ノアの息子は小銭たりとも盗めば死罪に処せらるべきであるが   イスラエル人がゴイに損害を負わせることは差支えなし。なんじの隣人を傷つけるなかれとは書いてあるが   ゴイを傷つけるなかれとは書かれていない。(ミズナ   サンヘドリン   五七)。     ゴイの失せ物を見付けた者は自分の所有にしてはならないが   ゴイに返すことは禁じられている。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   二六六の一)。     ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取るべからず。唯アクムよりのみこれを取るべし。しかしてかかる取引は使者をしてこれをなさしむべし。使者ならば   かく為しても   罪を犯したるには非ずして   戒律もまた遵守されたるなり。(シュルハン・アルフ   第二巻智慧の教)     タルムードの誡において神は命じて曰く   ゴイに金を貸すには必ず高利を以てすべし   と。これ   彼らが借りたる金により利する事なからんため   かつまた   我らが金銭にて彼らに助力を与うることなく   むしろ損害を与えんがためなり。<モシェー・バル・マエモン>     非ユダヤ人より盗みたる物を用いて女と婚約するは差支えなし。(シュルハン・アルフ   第四巻救いの岩)     ゴイに向って誓いを立てた者は   盗賊であれ税吏であれ   責任を取らなくてよい。(トセフタ・スゼブノット   一一)     結婚   誓約   約束を取り消すには   ユダヤ人はラビの所に行かねばならぬが   ラビが不在の場合は   他のユダヤ人を三人呼び集め   かれらに残念ながら取り消すと言えばよい。そうすると三人は〝なんじは許された〟と言う。(シュルハン・アルーフ     一の二四七)     ゴイにわれらの信教を教える者は   ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイがわれらの教説を知ったならば   かれらは公然とわれらを殺すだろう。(リブル・デヴィッドの書   三七)     律法の秘密を公にすることは禁ぜられる。これを破る者は全世界を葬るに等しい犯罪である。(ジャクトゥ・ハダズ   一七一の二)     ユダヤ人がラビの書物のどこかを説明してくれと頼まれたなら   ただただ嘘の説明をするべきであり   ほんとうのことを教えてこの指示を裏切る共犯者となってはならない。この律法を破る者は生かしておいてはならない。(リブル・デイヴィド   三七)     ゴイがわれらの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら   偽りの誓いを立てなければならない。そして   そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。(ザーロット・ウザボット   ジュル・ダの書   一七)     タルムードを学ぶゴイ   それを助けるユダヤ人はことごとく生かしておいてはならない。(サンヘドリン   五九   ア・アボダ・ゾラ   八の六。ザギガ   一三)     神よ   あなたを信ずることなく   その御名を称えざる民どもの上に   あなたの怒りを注がしめ給わんことを。かかる民どもの上にあなたの怒りを下らしめ   あなたの怒りもて屈伏せしめ給え。かの民どもをあなたの怒りもて追い散らし   粉々に打ち砕き給え。おお神よ   かの民どもの骨をすべて抜き取り給え。あなたの民に敵対するものすべてを瞬時に殺傷し給え。これら存在の価値なき民どもを根絶   四散   殱滅し給え。誅殺し給え!   今ただちに誅殺し給え!(プラナイティス   クリスマス・イン・タルムード・ジュデオラム   『シナゴーガ・ジュダイカ』二一二頁   『ミンハギン』二三頁   『クラチ・シャイム』四八〇頁。過越祭の夕の祈りで現在も唱えられているもの)     (新年二日以前のもの)彼ら非ユダヤ人の評議を狂気をもって悩まし   その思想を乱し給え。彼らの君侯を狂気ならしめ   彼らが吾々になしし如く彼らになし給え。(「ユダヤ祈祷集」より)     何者かが三度ユダヤ人を裏切るか   もしくは(ユダヤ人の)金をゴイどもに渡したことが疑いない場合は   賢人会議はその男を放逐しなければならない。     裏切り者を放逐せんがために   何人も共同体に寄付をしなければならない。(前掲書)     涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は   神に生贄を捧ぐるに等しきなり。<シメオン・ハダルサン法師>     自由思想家及びトーラと預言者を否む者を殺すは掟なり。公然と刀剣を以て為し得る時は然かなすべし。もし然か為し得ずば   策計をめぐらして死に至らしむべし。(シュルハン・アルフ   第三巻正義の楯)     トーラーを持たざる者と予言する者とを   すべて殺さなければならない。彼らを殺す力ある者は   剣あれば憚ることなく剣もて殺せ。剣なければ策略もて放逐せよ。(シュルハン・アルーフ   コーゼン・ハミズパット   四二五の五〇)。     キリスト教徒の中最も善き者を絞殺すべし。<アシ法師>   クルアーン   <特大>   第17章   イスラエル   (メッカ啓年)</特大>   慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。   17-1.   かれに栄光あれ。そのしもべを   (マッカの)聖なるマスジドから   われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに   夜間   旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。   17-2.   われはムーサーに啓典を授け   イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」   17-3.   われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。   17-4.   またわれは啓典の中で   イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し   必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」   17-5.   それで2つの中最初の時(預言)が来た時   われはしもべの中の武勇に富んだ者を   あなたがたに遣わし   かれらは家々の最も奥に入り   約束は成し遂げられた。   17-6.   次いでわれは   あなたがたがかれらに勝利を得るようにし   またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。   17-7.   (そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら   自分の身のために善を行うのであり   また悪を行っても   自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時   あなたがたの顔は曇り   最初の時のように   かれらはマスジドに侵入し   凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。   17-8.   或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば   われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために   地獄を牢獄として設けた。   17-9.   本当にこのクルアーンは   正しい(道への)導きであり   また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。   17-10.   また来世を信じない者には   われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。   17-11.   人間の祈りは幸福のためであるべきなのに   かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。   17-12.   われは夜と昼の2つの印を設け   夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして   あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ   また年数を知り   (暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。   17-13.   一人ひとりに   われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には   (行いの)記録された一巻が突き付けられ   かれは開いて見る。   17-14.   (かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは   あなた自身が自分の清算者である」   17-15.   誰でも導かれる者は   只自分の魂を益するために導かれ   また誰でも迷う者は   只自分を損うために迷う。重荷を負う者は   他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。   17-16.   われが一つの町を滅ぼそうとする時は   かれらの中で裕福に生活し   そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し   言葉(の真実)がかれらに確認されて   それからわれはそれを徹底的に壊滅する。   17-17.   ヌーフの後   如何に多くの世代を   われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は   そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ   見ておられる方として万全である。   17-18.   誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には   われも急いでかれのために   われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ   恥辱を被り   (慈悲を)拒否されるであろう。   17-19.   しかし誰でも来世を望み   それに向かい精出し努力し   信仰する者   これらの者の努力は嘉納される。   17-20.   われは凡ての者に   これらの者にもまたかれらにも   あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。   17-21.   見なさい。われはある者に   如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では   必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。   17-22.   アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと   あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。   17-23.   あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが   あなたと一緒にいて老齢に達しても   かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず   親切な言葉で話しなさい。   17-24.   そして敬愛の情を込め   両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て   「主よ   幼少の頃   わたしを愛育してくれたように   2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。   17-25.   主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば   かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し   本当に寛容である。   17-26.   近親者に   当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。   17-27.   浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。   17-28.   あなたは主からの慈悲を請い願うために   仮令かれらから遠ざかっていても   あなたはかれらに対し優しく語りなさい。   17-29.   あなたの手を   自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き   恥辱を被り困窮に陥ってはならない。   17-30.   本当にあなたの主は   御心に適う者への報酬を豊かにされ   また控えられる。かれはそのしもべに関し   本当に全知にして全視であられる。   17-31.   貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは   本当に大罪である。   17-32.   私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。   17-33.   正当な理由による以外は   アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば   われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。   17-34.   孤児が力量(ある年齢)に達するまでは   最善(の管理)をなすための外   かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は   (審判の日)尋問されるのである。   17-35.   それからあなたがたが計量する時は   (買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり   その方が結果として最良になる。   17-36.   またあなたは   自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚   視覚   また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。   17-37.   また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず   また(背丈が)山の高さにもなれない。   17-38.   これらの凡ては悪事で   あなたの主は   これを憎まれる。   17-39.   これらは   主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。   17-40.   (多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け   (御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。   17-41.   本当にわれはこのクルアーンで   かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは   只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。  

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アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です) 1 ユダヤ教徒とイスラム教と聖クルアーンの第17章イスラエル(メッカ啓年)について

アヴェ・ヴェルム・コルプス(お話です) 1   ユダヤ教についてと イスラエルの歴史についてと キリスト教とユダヤ教の歴史について イスラム教の聖典の聖クルアーンの 第17章イスラエル(メッカ啓年)について。 イスラエルとユダヤ教徒、キリスト教徒など他宗教の信者に対する破邪がございますが、他宗教の信者の方々自身に対しては非常に敬意を持って領納してございますから、経の表象も敬意を持って領解(りょうげ)してございます。 聖クルアーン 第17章 イスラエル (メッカ啓年) 慈悲深く、恵み遍くアッラーの御名において。 17-1. かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。 17-2. われはムーサーに啓典を授け、イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」 17-3. われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。 17-4. またわれは啓典の中で、イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し、必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」 17-5. それで2つの中最初の時(預言)が来た時、われはしもべの中の武勇に富んだ者を、あなたがたに遣わし、かれらは家々の最も奥に入り、約束は成し遂げられた。 17-6. 次いでわれは、あなたがたがかれらに勝利を得るようにし、またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。 17-7. (そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら、自分の身のために善を行うのであり、また悪を行っても、自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時、あなたがたの顔は曇り、最初の時のように、かれらはマスジドに侵入し、凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。 17-8. 或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば、われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために、地獄を牢獄として設けた。 17-9. 本当にこのクルアーンは、正しい(道への)導きであり、また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。 17-10. また来世を信じない者には、われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。 17-11. 人間の祈りは幸福のためであるべきなのに、かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。 17-12. われは夜と昼の2つの印を設け、夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして、あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ、また年数を知り、(暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。 17-13. 一人ひとりに、われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には、(行いの)記録された一巻が突き付けられ、かれは開いて見る。 17-14. (かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは、あなた自身が自分の清算者である」 17-15. 誰でも導かれる者は、只自分の魂を益するために導かれ、また誰でも迷う者は、只自分を損うために迷う。重荷を負う者は、他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。 17-16. われが一つの町を滅ぼそうとする時は、かれらの中で裕福に生活し、そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し、言葉(の真実)がかれらに確認されて、それからわれはそれを徹底的に壊滅する。 17-17. ヌーフの後、如何に多くの世代を、われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は、そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ、見ておられる方として万全である。 17-18. 誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には、われも急いでかれのために、われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ、恥辱を被り、(慈悲を)拒否されるであろう。 17-19. しかし誰でも来世を望み、それに向かい精出し努力し、信仰する者、これらの者の努力は嘉納される。 17-20. われは凡ての者に、これらの者にもまたかれらにも、あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.5.30. 18:23
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タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス   (お話です)   1   ユダヤ教についてと   イスラエルの歴史についてと   キリスト教とユダヤ教の歴史について   イスラム教の聖典クルアーンの   第17章イスラエル(メッカ啓年)の   イスラエルとユダヤ教徒   キリスト教徒など他宗教の信者に対する破邪がございますが   他宗教の信者の方々自身に対しては非常に敬意を持って領納してございますから   経の表象も敬意を持って領解(りょうげ)してございます。   クルアーン   第17章   イスラエル   (メッカ啓年)   慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。   17-1.   かれに栄光あれ。そのしもべを   (マッカの)聖なるマスジドから   われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに   夜間   旅をさせた。わが種々の印をかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。   17-2.   われはムーサーに啓典を授け   イスラエルの子孫ヘの導きとさせ(命じ)た。「われの外に守護者を持ってはならない。」   17-3.   われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者の子孫よ。本当にかれは感謝するしもベであった。   17-4.   またわれは啓典の中で   イスラエルの子孫に対しこう啓示を与えた。「あなたがたは必ず地上で2度悪を犯し   必ず甚だしく高慢に思いあがるであろう。」   17-5.   それで2つの中最初の時(預言)が来た時   われはしもべの中の武勇に富んだ者を   あなたがたに遣わし   かれらは家々の最も奥に入り   約束は成し遂げられた。   17-6.   次いでわれは   あなたがたがかれらに勝利を得るようにし   またあなたがたの財産と子女を増やして多くの人々とした。   17-7.   (そして仰せられた。)「もしあなたがたが善を行うなら   自分の身のために善を行うのであり   また悪を行っても   自分のため(に行うの)である。」それで2番目の時が来た時   あなたがたの顔は曇り   最初の時のように   かれらはマスジドに侵入し   凡てはかれらによって徹底して踏み躙られ壊滅に帰した。   17-8.   或るいは主もあなたがたに情けを与えるであろう。だがあなたがたが(罪を)繰り返すならば   われも(懲罰を)繰り返すであろう。われは不信者のために   地獄を牢獄として設けた。   17-9.   本当にこのクルアーンは   正しい(道への)導きであり   また善い行いをする信者への吉報である。かれらには偉大な報奨が授けられる。   17-10.   また来世を信じない者には   われはかれらのために痛ましい懲罰を準備した。   17-11.   人間の祈りは幸福のためであるべきなのに   かれは災厄のために祈る。凡そ人間はいつも性急である。   17-12.   われは夜と昼の2つの印を設け   夜の印を暗くした。だが昼の印は明るくして   あなたがたに(働いて)主の恩恵を祈らせ   また年数を知り   (暦法を)計算させる。われは凡てのことを詳細に説き明かした。   17-13.   一人ひとりに   われはその運命を首に結び付けた。そして復活の日には   (行いの)記録された一巻が突き付けられ   かれは開いて見る。   17-14.   (かれは仰せられよう。)「あなたがたの記録を読みなさい。今日こそは   あなた自身が自分の清算者である」   17-15.   誰でも導かれる者は   只自分の魂を益するために導かれ   また誰でも迷う者は   只自分を損うために迷う。重荷を負う者は   他人の重荷を負うことは出来ない。われは(警告のため)一人の使徒を遣わさない限り決して懲罰を下さない。   17-16.   われが一つの町を滅ぼそうとする時は   かれらの中で裕福に生活し   そこで罪を犯している者に(先ず)命令を下し   言葉(の真実)がかれらに確認されて   それからわれはそれを徹底的に壊滅する。   17-17.   ヌーフの後   如何に多くの世代を   われは滅ぼしたことであろうか。あなたの主は   そのしもべたちのいろいろな罪を知っておられ   見ておられる方として万全である。   17-18.   誰でも束の間(のこの世の事物)を望む者には   われも急いでかれのために   われの欲する物をわれが望む者に与える。それからかれのために地獄を準備する。かれはそこで焼かれ   恥辱を被り   (慈悲を)拒否されるであろう。   17-19.   しかし誰でも来世を望み   それに向かい精出し努力し   信仰する者   これらの者の努力は嘉納される。   17-20.   われは凡ての者に   これらの者にもまたかれらにも   あなたの主の賜物を広く授ける。あなたの主の賜物には限界はないのである。   17-21.   見なさい。われはある者に   如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。しかし来世では   必ずもっと大きい等級や偉大な特典がある。   17-22.   アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと   あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。   17-23.   あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが   あなたと一緒にいて老齢に達しても   かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず   親切な言葉で話しなさい。   17-24.   そして敬愛の情を込め   両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て   「主よ   幼少の頃   わたしを愛育してくれたように   2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。   17-25.   主はあなたがたの心の中に抱くことを熟知なされる。もしあなたがたが正しい行いをするならば   かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し   本当に寛容である。   17-26.   近親者に   当然与えるべきものは与えなさい。また貧者や旅人にも。だが粗末に浪費してはならない。   17-27.   浪費者は本当に悪魔の兄弟である。悪魔は主に対し恩を忘れる。   17-28.   あなたは主からの慈悲を請い願うために   仮令かれらから遠ざかっていても   あなたはかれらに対し優しく語りなさい。   17-29.   あなたの手を   自分の首に縛り付けてはならない。また限界を越え極端に手を開き   恥辱を被り困窮に陥ってはならない。   17-30.   本当にあなたの主は   御心に適う者への報酬を豊かにされ   また控えられる。かれはそのしもべに関し   本当に全知にして全視であられる。   17-31.   貧困を恐れてあなたがたの子女を殺してはならない。われはかれらとあなたがたのために給養する。かれらを殺すのは   本当に大罪である。   17-32.   私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。   17-33.   正当な理由による以外は   アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない。誰でも不当に殺害されたならば   われはその相続者に賠償または報復を求める権利を与える。殺害に関して法を越えさせてはならない。本当にかれは(法によって)救護されているのである。   17-34.   孤児が力量(ある年齢)に達するまでは   最善(の管理)をなすための外   かれの財産に近付いてはならない。約束を果たしなさい。凡ての約束は   (審判の日)尋問されるのである。   17-35.   それからあなたがたが計量する時は   (買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり   その方が結果として最良になる。   17-36.   またあなたは   自分の知識のないことに従ってはならない。本当に聴覚   視覚   また心の働きの凡てが(審判の日において)尋問されるであろう。   17-37.   また横柄に地上を歩いてはならない。あなたがたは大地を裂くことも出来ず   また(背丈が)山の高さにもなれない。   17-38.   これらの凡ては悪事で   あなたの主は   これを憎まれる。   17-39.   これらは   主があなたに啓示された英知である。アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。そうでないと恥辱を受け(慈悲を)拒否され地獄に投げ込まれるであろう。   17-40.   (多神教徒よ)主は男児をあなたがたに授け   (御自分は)天使の中から女児を取られたとするのか。本当にあなたがたは由々しき言葉を口にする者である。   17-41.   本当にわれはこのクルアーンで   かれらを戒しめるために繰り返し説いた。しかしそれは   只かれらの(真理からの)離反を加えるだけであった。   タルムード   ユダヤ教の聖典は『旧約聖書』ですが   冒頭の5書   「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は特に重要とされ「モーセ五書」または「トーラー」(律法)と呼ばれます。さらに   モーセが神から授けられた法で   成文化されずに口伝で伝えられたものがあり   この口伝は3世紀頃に文書化され「ミシュナ」と呼ばています。このミシュナと   ミシュナをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と   時代時代に対応した生きざまを記したものがタルムードです。   タルムードは   6部構成   63編から成る文書群で   現代のユダヤ教の主要教派のほとんどが聖典として認めており   ユダヤ教徒の生活   信仰の基となっているといわるものです。     ユダヤ王は真の世界の法王   世界にまたがる教会の総大司教となる。だが   一方で   われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に   後にはわれわれの宗教で再教育する間   われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども   教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う。その場合   一般的には   われわれの現代社会はゴイムの国家問題   宗教   ゴイムの無能さを断罪し続けるが   常に   わが民天与の才能を振い   あらゆる手段を駆使してかれらの威信を剥奪すべく   罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。<十七>     重ねて述べるが   臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては   盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?   彼らが王者に見たいのは力     力の権化なのである。<二十三>     ダヴィデ王の子孫のうちの数人が   相続権ではなく優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には   政治の最高機密と政府の仕組とが伝授されるが   常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は   このような秘義を授けられたことがない者には   政府を委すことはできないということを徹底させることにある。これらの人々にのみ   何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ   私がこれまでに述べたような計画の実際化や   政治経済運動や社会科学研究の全成果-一言で言えば   人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理-が伝授される。<二十四>     たとえ残忍であったとしても無条件に断固たる人物にのみ   われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。……通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて   最も親しい助言者たちにも知らされない。王と三人の顧問のみが   将来の計画を知っている。断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には   万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので   あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に   前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは   そのためである。<二十四>     ユダヤ王は自分の感情   とりわけ情欲のとりこになってはならない。王は自分の人格のどの一面でも