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箸つかえます?!

1歳6ヶ月、見よう見まねで箸を使うミーちゃん。

投稿者:サイト名 tomogiru
投稿日時:2015.8.26. 01:42
視聴回数:289回
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カテゴリ: 育児・赤ちゃん  
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この威力を見よ!フライフィッシングヨーロピアンニンフィング渓流爆釣編

詳しくは→フライフィッシング私的大全 http://goo.gl/jp4Gt スロベニア釣行記 http://championships.flyfishing-japan.com/ フライフィッシングの最先端釣法、ヨーロピアンニンフィング(チェックニンフィングフレンチスタイル)を日本の渓流で実践。30cm~45cmのレインボーを爆釣できた。そのメソッドをここに公開!タイトでアグレッシブなこの釣法は、新しいフライフィッシングとして感動すら覚える。3番10フィートのツーインワンロッドはブランクも細くGood job!! この映像を気に入って頂けたら、ブログやツイッター、フェイスブック等で拡散をぜひお願いします!!

投稿者:サイト名 しょうぶFFLegend
投稿日時:2013.3.24. 20:03
視聴回数:2702回
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カテゴリ: アユ   トラウト   フライフィッシング  
タグ: フライフィッシング   フライタイイング   フライキャスティング   渓流   釣り  

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普賢岳

剣先の無駄な動きはなくなって構えがしっかりしてきた。 今度は先生の鎬と自分の鎬を出来るだけ擦りあわす時間を長く。 参考は黒部の太陽の稽古を見よう。

投稿者:サイト名 gakusei
投稿日時:2013.1.17. 20:51
視聴回数:208回
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カテゴリ: 日本武道  
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アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です)メタ理論・タルムード5章・聖クルアーン11章

アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) メタ理論・ タルムード5章・ 聖クルアーン11章 1。 10の言葉で世界が創造されました。 それについて聖書で何を教えているのだろう。だが世界はひとつの言葉で創造され得たのでないか。しかし、それは10の言葉で創造された世界を滅ぼす悪人どもに刑罰を下すためであり、また10の言葉で創造された世界を永続させる義人たちに素晴らしい報酬を与えるためである。 2。 アダムからノアへの10の世代が、ありました。偉大な彼がそれらに洪水の水を持ってまで、絶えず彼を引き起こし、これらの世代の一人一人のために、彼の忍耐であった方法を示して 3。 アブラハムは、私たちの父が来て、それらすべての報酬を受け取るまで、これらの世代の一人一人のための彼の忍耐は、継続的に彼を挑発した方法大きな表示するには、ノアからアブラハムまで10世代が、ありました。 4。 10テストとテストアブラハムは、私たちの父であったと彼はそれらすべての不動の立っていた[彼らはされました]彼の愛がいかに偉大な表示することもできます。 4。 10の奇跡がエジプトでわたしたちの父祖たちのために行われ、また10の奇跡が会場で行われた。10の疫病を聖なるお方 - 彼は頌むべきかな - はエジプトでエジプト人にもたらし、また10の疫病を海上でもたらした。10度もわたしたちの父祖たちは偏在者である神 - 彼は頌むべきかな - を荒れ野で試みた。なぜなら「不思議は、海上でエジプトと10で私たちの先祖のために行われた。10度もわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった」(民数記14・22)と言われているからである。 5。 10の奇跡は神殿内でわたしたちの先祖のために行われました。すなわち聖別された供儀の肉の匂いで女性が流産しなかった。聖別された供儀の肉も決して腐らなかった。屠獣部屋に蝿(はえ)は見られなかった。贖罪の日に大祭司は夢を漏らさなかった。雨が祭壇の薪束の火を消すことはなかった。風が煙の柱を圧倒することはなかった。オメルの束、二個のパン、および供えのパンに瑕疵は発見されなかった。彼ら人々はひしめいて立ったが、楽に跪(ひざまず)けた。またエルサレムの中では蛇もさそりも危害を加えなかった。またエルサレムで宿泊するわたしには場所が狭すぎる、とその仲間に言ったものは誰もいなかった。 6。 10のものが安息日の前夜の宵の口に創造された。それらは、地の口、井戸の口、雌ろばの口、虹、マナ、杖、シャミール、文字、書体、書き板である。またさらに悪魔、モーセの墓、およびわたしたちの父祖アブラハムの雄羊、と言う者たちもいる。またさらに挟み道具で作られた挟み道具、と言う者たちもいる。 7。 7つのことが無学の者について、また7つのことが賢者について言える。賢者は知恵において自分よりすぐれている人の前では語らない。また彼は仲間の話に割って入らない。また彼は性急に答えない。彼は主題に合わせて訊ね、ハラハーに従って答える。彼は最初の問題は最初に話し、最後の問題は最後に話す。彼が聞いていない事柄に関しては、わたしは聞いていないと言う。また彼は真理を認める。これらの逆が、無学の者の場合である。 「聖クルアーン第11章」 フード章 マッカ啓示123節 11-1.アリフ・ラーム・ラー(この)啓典は、(英知によって)守護されており、また英明にして通暁される御方からの解明である。 11-2.(それで言うがいい。)「アッラーの外誰にも仕えてはならない。本当にわたしは警告者、また吉報の伝達者として、かれからあなたがたに(遣わされた)。」 11-3.あなたがたの主の御赦しを請い願え。そしてあなたがたは、悔悟してかれの許に返れ、(そうすればアッラーは)定められた時期までいろいろなよいものを享受させる。また功績の多い者には、それぞれ豊富に恵みを与えられる。だがもし、背き去るならば、わたしはあなたがたのために偉大な日の懲罰を恐れる。 11-4.「あなたがたはアッラーの許に帰るのである。かれは凡てのことに全能であられる。」

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.8.14. 23:32
視聴回数:11066回
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カテゴリ: 暮らし全般   エンタメ全般   教育全般  
タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス   (お話です)   メタ理論・   タルムード5章・   聖クルアーン11章   1。   10の言葉で世界が創造されました。   それについて聖書で何を教えているのだろう。だが世界はひとつの言葉で創造され得たのでないか。しかし   それは10の言葉で創造された世界を滅ぼす悪人どもに刑罰を下すためであり   また10の言葉で創造された世界を永続させる義人たちに素晴らしい報酬を与えるためである。   2。   アダムからノアへの10の世代が   ありました。偉大な彼がそれらに洪水の水を持ってまで   絶えず彼を引き起こし   これらの世代の一人一人のために   彼の忍耐であった方法を示して   3。   アブラハムは   私たちの父が来て   それらすべての報酬を受け取るまで   これらの世代の一人一人のための彼の忍耐は   継続的に彼を挑発した方法大きな表示するには   ノアからアブラハムまで10世代が   ありました。   4。   10テストとテストアブラハムは   私たちの父であったと彼はそれらすべての不動の立っていた[彼らはされました]彼の愛がいかに偉大な表示することもできます。   4。   10の奇跡がエジプトでわたしたちの父祖たちのために行われ   また10の奇跡が会場で行われた。10の疫病を聖なるお方   -   彼は頌むべきかな   -   はエジプトでエジプト人にもたらし   また10の疫病を海上でもたらした。10度もわたしたちの父祖たちは偏在者である神   -   彼は頌むべきかな   -   を荒れ野で試みた。なぜなら「不思議は   海上でエジプトと10で私たちの先祖のために行われた。10度もわたしを試み   わたしの声に聞き従わなかった」(民数記14・22)と言われているからである。   5。   10の奇跡は神殿内でわたしたちの先祖のために行われました。すなわち聖別された供儀の肉の匂いで女性が流産しなかった。聖別された供儀の肉も決して腐らなかった。屠獣部屋に蝿(はえ)は見られなかった。贖罪の日に大祭司は夢を漏らさなかった。雨が祭壇の薪束の火を消すことはなかった。風が煙の柱を圧倒することはなかった。オメルの束   二個のパン   および供えのパンに瑕疵は発見されなかった。彼ら人々はひしめいて立ったが   楽に跪(ひざまず)けた。またエルサレムの中では蛇もさそりも危害を加えなかった。またエルサレムで宿泊するわたしには場所が狭すぎる   とその仲間に言ったものは誰もいなかった。   6。   10のものが安息日の前夜の宵の口に創造された。それらは   地の口   井戸の口   雌ろばの口     マナ     シャミール   文字   書体   書き板である。またさらに悪魔   モーセの墓   およびわたしたちの父祖アブラハムの雄羊   と言う者たちもいる。またさらに挟み道具で作られた挟み道具   と言う者たちもいる。   7。   7つのことが無学の者について   また7つのことが賢者について言える。賢者は知恵において自分よりすぐれている人の前では語らない。また彼は仲間の話に割って入らない。また彼は性急に答えない。彼は主題に合わせて訊ね   ハラハーに従って答える。彼は最初の問題は最初に話し   最後の問題は最後に話す。彼が聞いていない事柄に関しては   わたしは聞いていないと言う。また彼は真理を認める。これらの逆が   無学の者の場合である。   8。   7種類の刑罰が7つの大罪のためにこの世に下る。誰かが10分の1をの献げ物を献ても   誰かが10分の1の献げ物を献げなければ   魃(ばつ)による与え   いくつかの十分の一を与えていない場合は   干ばつから飢饉が来る。   いくつかの充足を持っていながら   いくつかの飢餓。   すべての十分の一を与えない解決するときに混乱や干ばつから飢饉が来る。   そして   彼らは生地の提供を(数字15:20)離れて設定されません場合は   すべてのかかる飢饉が来る。   とするため第七年間の農産物(レビ記25:1-7)のTorahsのとがの   疫病ため裁判所に持ち込まれていない律法で差し止め死刑に値する犯罪の世界にしています。   とするためのhalakahに従っていない律法を教えるものの   剣のための正義の遅延と正義の曲げるの世界にしています。   邪悪な獣のため偽証と名前の冒涜の世界に来る。   亡命ため偶像崇拝と近親相姦と血を流すの世界に来る;とするためのサバティカル年の間に土壌中への放出を与えるために無視する。   9。   毎年四年   七年に   七年後の年に   と仮庵の祭りの終わりに4つの期間の疫病の増加で。   "4年"   -   のため三年Poormanの税収(申命記14:28-30)の怠慢である。   "第七年に"   -   ので   6年Poormanの税収の怠慢。   "七年後の年"   -   越境したため7年目のTorahsが生成されます。   "仮庵の祭りの終わりには毎年"   -   ので   そのためです収穫ギフトの貧しい人々を奪った。   10。   男性の間で4つのタイプがあります。   彼は   "私は私のものとあなたがあなたの何です何ですか"と言う人   -   一部は   これはソドムのタイプであることを言うが   これは   一般的なタイプです。   彼は   "私があなたと何かあなたは私です何ですか"と言う人   -   彼は無知な男だ。   彼は誰が   "私はあなたです   何があな??たは汝自身である何ですか"と言う   -   彼は聖人のような男だ。   そして彼は   "あなたは何ですか鉱山であり   何が私は私です"と言う人   -   彼は邪悪な男だ。   11。   男性の間で四気質があります。   挑発するのは簡単となだめるのは簡単   -   彼の損失は彼の利得によってキャンセルされます。   ハード挑発し   ハードなだめるために   -   彼のゲインは彼の損失によって解除されます。   挑発するのは難しいとなだめる簡単に   -   彼は聖人のような男だ。   彼は邪悪な男です   -   誘発する   ハードなだめるために簡単です。   12。   4つの特性は   学生の間で発見されています。   学ぶことは   迅速かつ忘れ素早く   彼の利得は   彼の損失によって解除されます。   学ぶと忘れてしまい減速する遅く   彼の損失は彼の利得によってキャンセルされます。   学ぶと忘れて遅くに素早く   彼は幸せがたくさんある。   学ぶために遅くなると忘れて迅速に   彼は不幸がたくさんある。   13。   施与をする者に4つの型があります。   彼は誰が与えることを望んでいるが   他に与えるべきであることを望まない   -   彼は他人に属しているものbegrudges。   彼は彼自身に属するものbegrudges   -   彼は誰が他の人が彼が与える必要があることを与えるがないことを望んでいる。   彼は誰が与えること   また   他人が与える必要があることを望んでいる   -   彼は聖人のような男だ。   彼は誰が自分自身を与えたくないし   他人が与えるべきでたくない   -   彼は邪悪な男です。   14。   学塾に通う者に4つの型があります。   練習(研究を)行くとしない彼   -   彼は行くことの報酬を持っています。   彼プラクティス(研究)が行っておりません   -   彼は練習(勉強)の報酬を持っています。   彼は聖人のような男だ   -   になり   またプラクティス(研究)彼。   彼は誰も行かないもプラクティス(研究)   -   彼は邪悪な男だ。   15。   スポンジ   漏斗   ストレーナー   およびふるい:賢人の存在下で座っている者のうち4つの型があります。   "スポンジ"   すべてを浸す。   "漏斗"この最後に取り込んで   他で実施することができます。   ワインをすることができますし   "こし"は   かすを保持します。   "ふるい"は   誰が粗い食事を取り除き   細かい粉を収集します。   16。   愛が何かに依存し   それが通過するたびに   その愛があまりにも離れて渡します。   愛はいくつかの隠された利益に依存していない場合   その後の愛が離れて通過することはありません。   いくつかの材料の優位性に依存し   愛の例とは何ですか?   タマルのためにアムノンのこと。   どのようないくつかの隠された利益に依存していない愛の模範となりますか?   ダビデとヨナタンのこと。   17。   神のサ??ービスで繰り広げすべての論争は最終的には持続的な価値のものでなければならないが   任意のエンドでない永続的な結果につながるものとされていない。   どの論争では   G-dので繰り広げられている一例でしたか?   などは   ヒレルとshammaiの論争だった。   そしてこれは   G-dのためではなかった?   などは   コラとすべての彼の会社の論争だった。   18。   誰でも正しい道で大衆をリードしてしても罪に来ませんが   誰でも道に迷って大衆をリードして   彼がコミットし   すべての間違ったために後悔することはできません。   こうしてモーセは高潔であり   彼は正しい道で大衆を率いて   それが書かれているそのメリットは   彼に帰されます(申命記33:21)   "彼は主の正義を実行し   イスラエルのための彼の条例。"   しかし   ヤロブアム   ネバテの子   罪を犯し   罪に多数を引き起こし   それが書かれているように大衆の罪は   彼がコミットしていること   そのためヤロブアムの罪   "(私はキングス15:30)彼に帰されている彼は   イスラエルがコミットしていました。   "   19。   寛大な目   謙虚な精神   そして柔和な魂:誰でも私たちの父アブラハムの弟子に属しているこれらの3つの資質を持っています。   しかし   三反対の資質持っている彼   -   邪眼   誇りに思う心と   高慢な魂が   -   邪悪なバラムの弟子である。   どのようにアブラハムの弟子たちはバラムの弟子から違うのでしょうか?   それは(箴言8時21分)書かれているアブラハムの弟子たちは   この世界を楽しみにして世界が来るように継承する   "私を愛する人の富を持つ持たせること   およびそれらの宝庫を埋める。"   バラムの弟子地獄を継承し   それが書かれている   破壊に下る(詩篇55:23)   "しかし   G-d   最小ピットにそれらを下に向けるでしょう。血に飢えと危険なの半分を生きてはならないその日。しかし   私はあなたに信頼します。   "   20。   ユダベンTeimaは言うに使用される:ヒョウ   ワシとして迅速   ガゼルなど艦隊と   天国であなたがたの父の意志を行うためのライオンとして勇敢なように強いこと。   彼はまた言って使用しました。厚かましいは地獄とパラダイスのために愛想のためのものです。   (彼は祈るために使用される):それは寺が私たちの日でスピーディーに再建されることを   わたしたちの父祖たちの主よ私たちのG-dとG-d汝の意志である   あなたの律法で私たちの一部を与えることができる。   21。   彼は言っていた。5歳は聖書の学びの開始のため   10歳はミシュナの学びのため   13歳は掟の遵守の開始のため   15歳はタルムードの学びの買い子のため   18歳は天蓋のため   20歳は追い求めるため   30歳は力のため   40歳は理解のため   50歳は助言のため   60歳は老人のため   70歳は白髪のため   80歳は力のため   90歳は曲がった腰のため   100歳はまるで死人のようになって過ぎ去り   この世から消え去る。(詩篇90:10)   22。   ベン・バグ・バグは言う。律法を繰り返し探せ。なぜならその中にすべてがあるからである。それを見つめ   その中で年老い   朽ちなさい。それから脇にそれてはいけません。なぜならばあなたはそれにまさる基準をもってないからである。   23。   ベン・へー・へーは言う。苦労に応じて報酬である。   「聖クルアーン第11章」   フード章   マッカ啓示123節   11-1.アリフ・ラーム・ラー(この)啓典は   (英知によって)守護されており   また英明にして通暁される御方からの解明である。   11-2.(それで言うがいい。)「アッラーの外誰にも仕えてはならない。本当にわたしは警告者   また吉報の伝達者として   かれからあなたがたに(遣わされた)。」   11-3.あなたがたの主の御赦しを請い願え。そしてあなたがたは   悔悟してかれの許に返れ   (そうすればアッラーは)定められた時期までいろいろなよいものを享受させる。また功績の多い者には   それぞれ豊富に恵みを与えられる。だがもし   背き去るならば   わたしはあなたがたのために偉大な日の懲罰を恐れる。   11-4.「あなたがたはアッラーの許に帰るのである。かれは凡てのことに全能であられる。」   11-5.見なさい。かれらは(その敵意を)かれに隠そうとして   自分たちの胸をたたみ込んでいる。ああ   自分たちの衣を(幾重に)着こんでも   かれはかれらの隠すこと顕わすことを知っておられる。本当にかれは   胸の中の秘密をよく知っておられる。   11-6.地上の凡ての生きもので   その御恵みをアッラーからいただいていない者はない。かれはそれらの居住所と寄留所を知っておられる。凡てはっきりと書物に(記されて)ある。   11-7.かれこそは玉座が水の上にあった時   6日の間に天と地を創造された御方。それはかれが   あなたがたの中誰が   行いに最も優れているか   明瞭にされるためである。だがあなたがもし   「あなたがたは   死後必ず甦されるであろう。」と言えば   不信心者たちはきっと   「それは明らかに魔術に過ぎない。」と言うであろう。   11-8.もしわれが定めの時期まで   かれらに対する懲罰を延ばせば   かれらはきっと言うであろう。「何が(懲罰を)遅らせているのか。」ああ   それが到来する日   何ものも   それを避けられず   かれらは自分たちが嘲笑していたもので   取り囲まれるであろう。   11-9.もしわれが   人間に親しく慈悲を施して味わしめ   その後それをかれらから取り上げれば   きっと絶望して不信心になる。   11-10.だが災いに見舞われた後われがもし恩恵を味わしめると   かれは   「不幸はわたしから去ってしまった。」と言って必ず狂喜して自慢する。   11-11.耐え忍んで   善行をなす者だけはそうではない。これらの者には   (罪の)赦しと偉大な報奨がある。   11-12.あなたは恐らく   啓示されたものの一部を放棄したい(気持になる)であろう。そのためにあなたの胸は狭められてはいないか。それはかれらがこう言うためである。「どうしてかれに財宝が下されないのだろう。また何故1人の天使も   かれと一緒に来なかったのであろうか。」本当にあなたは1人の警告者に過ぎない。アッラーは凡てのことを管理される方であられる。   11-13.またかれらは   「かれがそれ(クルアーン)を作ったのです。」と言う。言ってやるがいい。「もしあなたがたの言葉が真実ならば   それに類する10章を作って   持って来なさい。また出来るならあなたがた(を助けることの出来る)アッラー以外の者を呼びなさい。」   11-14.もしかれら(神々)があなたがた(の呼びかけ)に答えないならば   あなたがたはそれがアッラーの御知識からだけ下されたものであること   またかれの外に神はないことを知りなさい。それであなたがたは   心から服従   帰依するのか。   11-15.現世の生活とその栄華を望む者には   われは現世のかれらの行いに対し十分に報いるであろう。かれらは少しも減らされることはないのである。   11-16.これらの者は   来世の火獄の外に何もない者たちである。現世でかれらの成し遂げたことは実を結ばず   その行っていたことは   虚しいものになる。   11-17.主からの明白な印を受けた証人(預言者)に読み聞かされた者(信者たち)。そしてそれ以前に導師であり慈悲であるムーサーの啓典(律法)をいただいている人々。これら(啓示の下った民)こそはそれ(クルアーン)を信じる。だがそれを信じない一派の者たちは   火獄がかれらの約束された場所である。だからあなた(ムハンマド)は   それに就いて疑ってはならない。本当にそれはあなたの主からの真理である。だが人びとの多くは信じない。   11-18.アッラーに就いて虚偽を作る者より   甚だしい不義な者があろうか。かれらは主の御許に引き出され   その証人たちは   「これらの者は   主に関して偽った者です」と言うであろう。見なさい。アッラーの怒りが不義者に下る。   11-19.これらの者は   アッラーの道(イスラームの教え)から(人々を)妨げ   (その道自体を)曲げようとする者   また来世を否定する者である。   11-20.これらの者は   地上において罰を逃れることもできず   またアッラーの外に守護者もないのである。かれらに対する懲罰は倍加されるであろう。かれらは聞くことも出来ず   また(明確に)見ることも出来なかった。   11-21.これらの者は   自分自身を滅ぼした者で   かれらが捏造していたものは   かれらからはぐれ去った。   11-22.疑うことなくこれらの者は   来世の最大の失敗者である。   11-23.本当に信仰して善行に励み   また主の御前で謙虚な者   これらの者は楽園の住人で   永遠にそこに住むであろう。   11-24.この両者を例えれば   一人は盲人で耳の遠い者のようであり   外は目も見えれば耳も聞える者である。比べてみて両者は同じであろうか。それでもあなたがたは注意しないのか。   11-25.またわれはヌーフを   かれの民に遣わした。(かれは言った。)「わたしはあなたがたへの   公明な警告者である。   11-26.あなたがたはアッラーの外に仕えてはならない。わたしはあなたがたのために   苦難の日の懲罰を本当に恐れる。」   11-27.だがかれの民の中不信心な首長たちは言った。「あなたを見ると   わたしたちと同じ人間に過ぎません。またわたしたちのなかでもあなたに従う者は   思慮の未熟な最も卑しい者に過ぎません。またあなたには   わたしたちに勝る長所も認められません。いや   わたしたちは   実際あなたがたを嘘付きであると考えます。」   11-28.かれは言った。「わたしの人びとよ   あなたがたは考えてみなさい。もしわたしが主からの明証の上に立ち   かれが御許からわたしに慈悲を与えられても   それがあなたがたの目に不明瞭だというならば   それほど嫌っているのに   あなたがたにそれを強いることが出来ようか。   11-29.人びとよ   わたしはこれ(伝道)に対して   あなたがたに財貨を求めない。わたしは   只アッラーから報奨をいただくだけである。またわたしは   信仰者たちを(侮って)追い返そうとはしない。本当にかれらは主に会う身である。寧ろあなたがたは   無知の民であるとわたしは考える。   11-30.人びとよ   わたしがもしかれらを追い返したならば   アッラーに対し誰がわたしを助けるであろう。それでもあなたがたは注意しないのか。   11-31.わたしはあなたがたに向かって   わたしがアッラーの宝物をもっているとも   幽玄界を知っているとも   またわたしは天使であるとも言わない。なおまたわたしはあなたがたが軽視する者に向かって   アッラーはかれらに(どんな)善性も   御授けにならないだろうと言わない。アッラーは   かれらの心の中を   最もよく知っておられる。もしそうであったならば   わたしは不義の徒である。」   11-32.かれらは言った。「ヌーフよ   あなたはわたしたちと論議してわたしたちとの論争を長引かせました。もしあなたの言葉が真実ならば   あなたが約束したこと(懲罰)をわたしたちに齎しなさい。」   11-33.かれは言った。「アッラーの御心があれば   かれだけがあなたがたにそれを現出されるであろう。あなたがたは(それを)避けられないのである。   11-34.仮令わたしが(善い)忠告を   あなたがたに与えようと望んでも   もしアッラーがあなたがたを   迷うに任せる御望みならば   わたしの助言はあなたがたに無益であろう。かれこそあなたがたの主であられる。あなたがたはかれの御許に帰されるのである。」   11-35.また   かれら(マッカの不信心者たち)はかれがそれ(クルアーン)を作り出した」と言っている。言ってやるがいい。「もしわたしがそれを作り出したならば   罪はわたしにある。だがわたしは   あなたがたが犯した罪にはかかわリがない。」   11-36.ヌーフはこのように啓示された。「既に信仰した者の外は   もうあなたの民は信仰しないであろう。だからかれらの行いに就いて悩んではならない。   11-37.そしてわれの目の前で   啓示に従って方舟を造れ。また不義を行う者のために(この上)われに願い出てはならない。かれらは溺れ死ぬであろう。」   11-38.そこでかれは方舟を造り始めた。かれの民の首長たちは   その側を過ぎる度にかれを嘲笑した。かれは言った。「仮令あなたがたが(今)わたしたちを嘲笑しても   いずれあなたがたが嘲笑するように   きっとわたしたちがあなたがたを嘲笑するようになる。」   11-39.「あなたがたはやがて恥辱の懲罰が誰に来るか知るであろう。永久の懲罰が誰の上に降りかかるかを。」   11-40.遂にわが命令は下って   大地の諸水が堰を切って迸り出た時   われは言った。「すべての生き物の一つがいと   信仰者たちと   あなたの家族で宣告がすでに下された者以外をその中に乗せなさい。」だがかれと共に信仰した者は少なかった。   11-41.かれ(ヌーフ)は言った。「アッラーの御名によって   これに乗れ。航行にも停泊にもそれによれ。本当にわたしの主は   寛容にして慈悲深くあられる。」   11-42.方舟はかれらを乗せて山のような波の上に動き出した。その時ヌーフは(皆から)離れていたかれの息子に叫んで言った。「息子よ   わたしと一緒に乗れ。不信者たちと一緒にいてはならない。」   11-43.息子は(答えて)言った。「わたしは山に避難しよう。それは(洪)水から救うであろう。」かれ(ヌ-フ)は言った。「今日はアッラーの御命令によってかれの慈悲に浴する者の外は   何者も救われない。」その時2人の間に波が来て   息子は溺れる者の1人となった。   11-44.御言葉があった。「大地よ   水を飲み込め。天よ   (雨を)降らすことを止めなさい。」水は引いて   事態は治まり   (舟は)ジューディー山上に乗り上げた。また仰せられた。「不義を行う民を追い払え。」   11-45.ヌーフはかれの主を呼んで申し上げた。「主よ   わたしの息子は(わが)家の一員です。あなたの約束は本当に真実で   あなたは裁決に最も優れた御方であられます。」   11-46.かれは仰せられた。「ヌーフよ   かれは本当にあなたの家族ではない。かれの行いは正しくない。あなたの知らないことに就いて   われに求めてはならない。われはあなたが無知な者とならないよう戒める。」   11-47.かれは申し上げた。「主よ   本当にわたしが知りもしないことに就いて   あなたに請い求めないよう   御赦しを願います。あなたがわたしを御赦しになり   慈悲を与えられなければ   わたしはきっと   失敗者の仲間になるでしょう。」   11-48.(かれに)御言葉があった。「ヌーフよ   われからの平安によって   (舟を)降りなさい。あなたに祝福あれ   またあなたと共にいる多くの人々の上にも。(外に)われが(少しの間の生活を)享受させる人々もあるが   結局かれらはわれから痛ましい懲罰を受けるであろう。   11-49.これはわれがあなたに啓示した   幽玄界に就いての消息である。あなたもあなたの人々も以前はそれを知らなかった。だから耐え忍ベ。(善)果は   主を畏れる者に帰するのである。   11-50.(われは)アードの民に   その同胞のフードを(遣わした)。かれは言った。「わたしの人びとよ   アッラーに仕えなさい。あなたがたには   かれの外に神はないのである。あなたがたは(神々を)捏造しているに過ぎない。   11-51.人びとよ   わたしはこれ(消息)に対して   何の報酬もあなたがたに求めない。わたしの報酬は   わたしを創られたかれの御許にだけあるのである。あなたがたはそれでも悟らないのか。   11-52.わたしの人びとよ   あなたがたの主の御赦しを請い求め   悔悟してかれに返れ。かれはあなたがたの上に天(から雲)を送り   豊かに雨を降らせ   あなたがたの力に更に力を添えられる。だからあなたがたは背き去って   罪を犯してはならない。」   11-53.かれらは言った。「フードよ   あなたはわたしたちにたった一つの明証すら   齎さない。わたしたちは(単なる)あなたの言葉のために   わたしたちの神々を捨てない。またあなたの信者にもならない。   11-54.わたしたちの神々のあるものが   邪悪な言動であなたを魅惑したのだと言うだけである。」かれは(答えて)言った。「わたしは   立証をアッラーに御願いする。あなたがたも   わたしが(神々を)配することに   関りないことを証言して下さい。   55.かれ以外(の神々を仲間とし)て   皆でわたしに対し策謀しなさい。何も猶予はいらない。   11-56.わたしの主であり   あなたがたの主であられるアッラーを   わたしは信頼する。凡ての生きものの一つでも   アッラーが   その前髪を掴まれないものはない。本当にわたしの主は   正しい道の上におられる。   11-57.仮令あなたがたが背き去っても   わたしはあなたがたのために   与えられたものを既に伝えた。主はあなたがたの代りに   他の民を継がせられた。あなたがたは少しも   かれを害することが出来ないのである。本当にわたしの主は   凡てを見守られる。」   11-58.わが命令が下った時   われの慈悲によってフードとかれと共に信仰する者たちは救われた。われは酷い懲罰から   かれらを救ったのである。   11-59.これは   アード(の民のこと)であった。かれらは主の印を拒否し   かれの使徒たちに背き   それぞれの勢力者   頑迷な反逆者の命令に従った。   11-60.それでかれらは   現世でも復活の日でも   呪いに付き纏われた。ああ見よ   本当にアードは   かれらの主を信仰しなかった。ああ見よ   フードの民(の視界から)アードは消された。   11-61.(われは)サムードの民に   その同胞サーリフを(遣わした)。かれは言った。「わたしの人びとよ   アッラーに仕えなさい。かれの外に   あなたがたに神はないのである。かれは大地からあなたがたを造化され   そこに住まわせられた。それでかれの赦しを請い願い   悔悟してかれに返れ。本当にわたしの主は   直ぐ近くにおられ   (祈りに)応えられる御方である。   11-62.かれらは言った。「サーリフよ   あなたはわたしたちの中で   以前望みをかけた人物であった。(今)あなたは   わたしたちの祖先が仕えたものに仕えることを禁じるのか。だがあなたが勧める教えに就いて   わたしたちは真に疑いをもっている。」   11-63.かれは言った。「わたしの人びとよ   考えてみたのか   わたしが主からの証の上にたち   かれはわたしに   親しく慈悲を与えられるのに   もしわたしがかれに従わないならば   誰がアッラー(の怒り)からわたしを救助することが出来ようか。あなたがたはわたしをもっと破滅してしまうだけである。」   11-64.わたしの人びとよ   これはアッラーの雌ラクダで   あなたがたに対する一つの印である。アッラーの大地で放牧し   これに害を加えてはならない。身近かな懲罰に襲われないようにしなさい。   11-65.だがかれらは   その膝の腱を切った。それでかれ(サーリフ)は言った。「3日の間あなたがたの家で(生を)楽しめ。それは偽りのない約束である。」   11-66.わが命令が下った時   慈悲によってわれはサーリフならびにかれと共に信仰した者たちを救い   またその日の恥辱からも救った。本当にあなたの主は   強大にして偉力ならびなき御方である。   11-67.一声(懲罰)が   不義の者を襲った。かれらは翌朝その家の中で俯していた。   11-68.そこはまるで   誰一人住んでいなかったかのようであった。サムードの人びとは   主を信じなかった。サムードよ(アッラーの慈悲から)追放されよ。   11-69.わが使徒たちが   イブラーヒームの許に来て   吉報を齎した。かれらは   「平安あれ。」と言い   かれも   「平安あれ。」と答え   時を移さず   焼いた仔牛で持て成した。   11-70.だがかれらの手がそれに伸びないのを見て   かれは不安に感じ   かれらに恐れを抱いた。かれらは言った。「恐れてはならない   実はわたしたちは   ルートの民に遣わされた者である。」   11-71.その時   かれ(イブラーヒーム)の妻が立っていて   笑ったので   われはかの女にイスハークのこと   イスハークの後   ヤアコーブの(産れる)吉報を伝えた。   11-72.かの女は言った。「ああ   情ない   わたしは老婦人であり   この夫も老人なのに(子が)産めましょうか。本当にこれは不思議なことです。」   11-73.かれらは言った。「おお   この家の人びとよ   あなたがたは   アッラーの命令に驚くのか。アッラーの慈悲と祝福があなたがたの上にあるように。本当にかれは讃美すべき方   栄光に満ちた方であられる。」   11-74.それでイブラーヒームの恐れが消え   吉報がかれに伝えられた時   かれはルートの民のためにわれに歎願し始めた。   11-75.本当にイブラーヒームは   辛抱強く   心の優しい   悔悟して(主に)返った者である。   11-76.(主は仰せられた。)イブラーヒームよ   このことを断念しなさい。既に主の御命令は下っている。避けられない懲罰が   かれらに下るのである。   11-77.われの使徒たちがルートの許に来た時   かれは(ルー卜の客人としての)使徒のためにとても心を悩まし   かれ自身(人びとの男色の風習から)かれらを守れないことを悲しんで   「これは苦難の日である。」と言った。   11-78.人びと(ルートの民)は急いでかれの許に来た。これまでかれらは   汚らわしい行い(男色行為)をしていたので   かれは言った。「わたしの人びとよ   ここにわたしの娘たちがいる。あなたがたにとっては(娘たちと結婚することが)最も清浄である。アッラーを畏れなさい。わたしの賓客に関して   わたしに恥をかかせないでくれ。あなたがたの中に   正しい心の者が一人もいないのか。」   11-79.かれらは言った。「わたしたちがあなたの娘たちに   求める気のないことを   あなたはよく知っているはずである。またわたしたちが望むものもあなたに分っている。」   11-80.かれは(祈って)言った。「わたしに   あなたがたを押える力がありますよう。もしくは力強い支持にあずかることが出来ますように。」   11-81.かれら(使徒たち)は言った。「ルートよ本当にわたしたちは   あなたの主の使徒である。かれらは決してあなたに手を触れることは出来ない。それで夜の間にあなたの家族を連れて出て行きなさい。そしてあなたがたの中   一人でも後ろを振り向いてはならない。あなたの妻は別である。かの女は   かれら(ソドムの住民)の遭遇したことに遭遇するであろう。かれらに定められた時は   早朝である。朝は近いではないか。」   11-82.それでわが命令が下った時   われはそれ(町)を転覆し   その上にわれは幾重にも焼いた泥の石を雨と降らせた。   11-83.(その石には)アッラーの御許で   (懲罰の)記号が付けられていた。それらは   不義を行う者の上にも降りかかるのである。   11-84.(われは)またマドヤンの民にその同胞のシュアイブを(遣わした)。かれは言った。「わたしの人びとよ   アッラーに仕えなさい。あなたがたには   かれの外に神はないのである。また寸法や量目を少なくしてはならない。見たところあなたがたは繁栄しているが   わたしはあなたがたに   (一切を)取り巻く日の懲罰が下るのを恐れる。」   11-85.「人びとよ   寸法や量目を正確に計れ   人の物を欺き取ってはならない。また地上で悪事を行って退廃を齎してはならない。   11-86.もしあなたがたが信者ならば   アッラーの(賜物で手もとに)残されたものこそ   あなたがたのために最も善いものである。わたしはあなたがたの見張り人ではない。」   11-87.かれらは言った。「シュアイブよ   あなたの祈るところのものは   わたしたちの祖先が崇拝したものを捨てるようにあなたに命じたのか。また自分の財産に関し   望み通りに処理してはならないのか。本当にあなたは   親切に正しい道に導く者なのか。」   11-88.かれは(答えて)言った。「人びとよ   考えてみなさい。わたしが主からの証の上にたち   またかれから良い御恵みを与えられている(のに   主の啓示を伝えることをわたしが怠ろうか)。またあなたがたに禁じたことを   陰で行うことを望まない。わたしの請い願うところは   只力を尽くして(世の中を)矯正することであり   アッラーによる以外にはわたしの成功〔タウフィーク〕はないのである。わたしはかれに信頼し   かれに悔悟して返る。   11-89.人びとよ   わたしに異議を唱えて罪を犯しヌーフの民やフードの民   またサーリフの民が陥ったのと同じ(運命)に陥ってはならない。ルートの民にいたっては   あなたがたと余り縁遠くはない。   11-90.それであなたがたの主の御赦しを請い   悔悟してかれに返れ。本当にわたしの主は慈悲深く温情にあつい御方である。」   11-91.かれらは言った。「シュアイブよ   あなたの言うことをまるで理解出来ない。またわたしたちは   本当にあなたは頼りにならないと思う。あなたの同族(のこと)を考えなかったならば   わたしたちはきっとあなたを石撃ちにしたであろう。あなたはわたしたちの間では無力なのである。」   11-92.かれ(シュアイブ)は言った。「人びとよ   あなたがたはアッラーよりも   わたしの同族の方を重視するのか。かれを無視して   あなたがたの背後に捨てるのか。本当にわたしの主は   あなたがたの行うことを取り囲まれる。   11-93.人びとよ   あなたがたは自分のやり方で行うがよい。わたしもまた(わたしの務めを)行うであろう。やがてあなたがたは知ろう。誰に恥ずべき懲罰が下るのか   また誰が偽ったのかを。あなたがたは待て   わたしもまたあなたがたと共に待つものである。」   11-94.わが命令が下った時   われの慈悲によってシュアイブとかれと共に信仰した者たちは救われた。だが不義を行った者たちには一声(懲罰)が襲い   翌朝かれらはその家の中に   俯していた   11-95.かれらは   まるでそこに住んでいなかったかのようであった。丁度サムードが滅びたようにマドヤンは滅びた。   11-96.またわれは   印と明瞭な権威とを授けて   ムーサーを遣わした。   11-97.フィルアウンとその首長たちに。だが   かれらはフィルアウンの命令に従った。しかしフィルアウンの命令は   正しい道に導くものではなかった。   11-98.復活の日にかれ(フィルアウン)は   人びとを率いて火獄に導き下るであろう。何と恐しい水場であることよ。   11-99.かれらは現世においても復活の日にも呪いに付き纏われた。何と恐しい賜物であることよ。   11-100.これらはわれがあなた(ムハンマド)に語る   昔の村々の消息の一部である。そのあるものはなお存在するが   あるものは消滅した。   11-101.われがかれらを損ったのではない。かれらが自分自身を損ったのである。アッラー以外にかれらが祈っていた神々は   あなたの主の命令が下った時   かれらに何も役立つことはなかった。只破滅を助長するだけであった。   11-102.このようにかれらが悪を行っている時   村々を不意に襲うことが   あなたの主の捕え方である。かれの捕え方は   本当に痛烈であり苛酷である。   11-103.本当にこの中には来世の懲罰を恐れる者への印がある。それは人間が一斉に召集される日であり   立証されるべき日である。   11-104.それは定められた一期のために過ぎず   われはそれを遅延させない。   11-105.その日が来れば   誰もかれの許しがなければ発言することは出来ない。かれらの中の(ある者は)惨であり   また(ある者は)幸福である。   11-106.その時惨な者たちは   火獄の中にいよう。その中でかれらは   ため息とすすり泣き(に喘ぐだけである)。   11-107.あなたの主の御好みにならない以上   天と地の続くかぎり   その中に永遠に住むであろう。本当にあなたの主は   御望みのことを(必ず)成し遂げられる。   11-108.(その日)幸福な者たちは楽園に入り   あなたの主の御好みによる以外   天と地の続く限り   その中に永遠に住むであろう。限りない賜物である。   11-109.だからこれらの人びとが崇拝するものに就いて   あなたは思い煩うことはない。かれらは祖先が以前に仕えたものに仕えるに過ぎない。本当にわれは   かれらの得分を(少しも)減らすことなく支給する。   11-110.われはムーサーに啓典を授けたが   それに就いて(ユダヤ人の間に)異論があった。あなたの主から前もって   御言葉が下されていなかったならば   その事はかれらの間できっと解決されたであろう。だが未にかれらはそれに就いて不安な疑いを抱いている。   11-111.あなたの主はかれらの凡ての言動に対して   十分に報われる。本当にかれは   かれらの行いを熟知なされる。   11-112.それであなたと   またあなたと共に悔悟した者が命じられたように   (正しい道を)堅く守れ。法を越えてはならない。かれはあなたがたの行いを御存知であられる。   11-113.あなたがたは悪を行う者を頼りにしてはならない。さもないと業火があなたを捕えるであろう。あなたがたには   アッラーの外に守護者はなく   助けられることもない。   11-114.礼拝は昼間の両端において   また夜の初めの時に   務めを守れ。本当に善行は   悪行を消滅させる。これは(主を)念じる者に対する訓戒である。   11-115.耐え忍べ。本当にアッラーは   善行者への報奨を虚しくされない。   11-116.あなたがたより以前の世代の者の間には   何故かれらの中われが救った少数の者を除いては   地上の退廃を押える有徳な者たちがいなかったのであろうか。不義を行う者たちは   享楽を貪り罪を犯していた。   11-117.あなたがたの主は   そこの居住民が矯正(に留意)する間は   (単なる)悪行のために都市を滅ぼされない。   11-118.またあなたの主の御心ならば   かれは人びとを一つのウンマになされたであろう。だがかれらは反目しあっている。   11-119.あなたの主が慈悲を垂れられる者は別である。かれはそうなるように   かれらを創られた。そして   「われは必ずジンと人間を一緒にして   地獄を満たす。」との主の御言葉は全うされた。   11-120.凡そわれが   使徒たちの消息に就いてあなたに語ったことは凡て   あなたの心をそれで堅固にするためのものである。その中には真理と勧告   と信仰する者への訓戒がある。   11-121.それで不信仰者に言ってやるがいい。「あなたがたは自分のやり方で行うがいい。わたしたちも(自分の務めを)行う。   11-122.あなたがたは待ちなさい。わたしたちも待っている。」   11-123.天と地の幽玄界は   アッラーの有であり   また凡ての事(物の決定)はかれに帰属する。だからかれに仕え   かれを信頼しなさい。主はあなたがたの行うことを   疎かになされない。  

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アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です)メタ理論・タルムード4章・クルアーン10章

アヴェ・ヴェルム・コルプス (お話です) 「メタ理論」 「タルムード第4章」 「聖クルアーン第10章」 「メタ理論:原初の人間が メタファー(隠喩)を駆使して 表象と意識と無意識について 論究していくとき 言語分節を行って以降に 詩的言語または 自然言語の基底が 隠喩・心象・直喩・比喩で つくられました。 表現したいと意識する知覚と、 直接的に自然につながりがある 身体・物体・行為で会話を行って、 象徴語が発生しました。 特に、 人間は驚嘆すべき事象に接すると わけもわからぬままに 想像して信じ込む特性があり、 このことから 述語的同一性の付与も メタファー(隠喩)的類型分類も、 分節に先行した領域に、 事象的次元の 特異な性質を象徴する 想像的普遍の意味についての 表象である位相の論究を行って、 詩的知恵と 想像的普遍についての 特性と意義を補います。」 「タルムード第4章」 第4章 1。 ベン・ゾーマは言う。賢者とはどんな者のことでしょうか? それが書かれているように、すべての人々から学ぶ者"私はすべてのすべての師にまさって目覚めたものです。"(詩篇119:99) 強い者とはどんな者のことでしょうか? その衝動を抑制するもの。なぜなら、" 忍耐力の強さにまさる。時勢の力は街を占領するにまさる"(箴言16:32) 豊か者とはどんな者のことでしょうか? それが書かれているとして、その持分で喜んでいる者。なぜなら、 "あなたはあなたの手が労して得た物はすべて/あなたの食べ物になる。あなたはいかに幸いなものか。/ あなたはいかに恵まれてるものか。" (詩篇128:2)と言われてるからである。" あなたはいかに幸いなものか。 "はこの世においてである。" あなたはいかに恵まれてるものか。" は、来るべき世界を指す。 尊敬される物とはどんな者のことでしょうか? 他人を救う者。なぜなら、" 私を重んずるものを私は重んじ、私を侮(あなず)らはす物を軽んずる "(サムエル上2:30)と言われてるからである。 2。 ベン・アッザイは言う、軽い掟を思い掟のごとく速やかに遵守して、罪から逃れなさい。なぜならば掟は別のおきてに導き、別の罪に導くからである。なぜならば掟の報いは掟であり、罪の報いは罪であるからである。 3。 彼はまた言っていた。どんな物をも軽蔑してはいけない。またどんなことも軽くあしらってはいけない。なぜならば自分の時が来ない者はいないし、またそのところを得ない者事物もないからである。 4。 ヤヴネーの人であるラビ・ベロカーは言う。誰であれひそかに天の名を冒涜する者は、人前で罰せられる。御名の冒涜は、過失であれ故意であれみな同じである。 「聖クルアーン第10章」 ユーヌス章 マッカ啓示109節 1-1.アリフ・ラーム・ラー。これらは英知に満ちた、啓典の御印である。 1-2.われがかれら(マッカ人)の中の1人(預言者ムハンマド)に啓示して、「あなたは人びとに(不信心の結末を)警告しなさい。また信仰する者には、主の御許で優れた足場を与えられるとの、吉報を伝えなさい。」と命じたことが(マッ力の)人びとに(それ程)驚きであるのか。(だが)不信心者たちは、「これは明らかに魔術師です。」と言う。 1-3.本当にあなたがたの主はアッラーである。6日の間に天と地を創造され、それから(大権の)玉位に鎮座して、凡ての事物を規制統御なされる。かれの許しを得た後でなければ、執り成す者はない。これがあなたがたの主、アッラーである。かれに仕えなさい。あなたがたは、訓戒を受け入れないのか。 1-4.あなたがたは皆一緒にアッラーの御許に帰る。アッラーの約束は真実である。本当にかれは創造を始め、そしてそれを繰り返される。これは信仰して善行をした者に、公正に報われるためである。だがかれを信仰しない者には、煮えたった飲物と、痛ましい懲罰がある。これはかれらが不信心であったためである。 1-5.かれこそは太陽を輝やかせ、月を灯明とされ、その軌道を定め、年数(と時日)の計算をあなたがたに教えられた方である。アッラーがこれらを創造されたのは、只真理(を現わすため)に外ならない。かれは知識ある人びとに印を詳しく述べられる。 1-6.本当に夜と昼との交替、またアッラーが天と地の間に創られる凡てのものの中には、主を畏れる者への印がある。 1-7.本当にわれとの会見を期待しない者、また現世の生活に満足してこれに安心している者、そしてわれの印を疎かにする者、

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.8.13. 13:34
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タグ: アヴェ・ヴェルム・コルプス   (お話です)   「メタ理論」   「タルムード第4章」   「聖クルアーン第10章」   「メタ理論:原初の人間が   メタファー(隠喩)を駆使して   表象と意識と無意識について   論究していくとき   言語分節を行って以降に   詩的言語または   自然言語の基底が   隠喩・心象・直喩・比喩で   つくられました。   表現したいと意識する知覚と   直接的に自然につながりがある   身体・物体・行為で会話を行って   象徴語が発生しました。   特に   人間は驚嘆すべき事象に接すると   わけもわからぬままに   想像して信じ込む特性があり   このことから   述語的同一性の付与も   メタファー(隠喩)的類型分類も   分節に先行した領域に   事象的次元の   特異な性質を象徴する   想像的普遍の意味についての   表象である位相の論究を行って   詩的知恵と   想像的普遍についての   特性と意義を補います。」   「タルムード第4章」   第4章   1。   ベン・ゾーマは言う。賢者とはどんな者のことでしょうか?   それが書かれているように   すべての人々から学ぶ者"私はすべてのすべての師にまさって目覚めたものです。"(詩篇119:99)   強い者とはどんな者のことでしょうか?   その衝動を抑制するもの。なぜなら   "   忍耐力の強さにまさる。時勢の力は街を占領するにまさる"(箴言16:32)   豊か者とはどんな者のことでしょうか?   それが書かれているとして   その持分で喜んでいる者。なぜなら   "あなたはあなたの手が労して得た物はすべて/あなたの食べ物になる。あなたはいかに幸いなものか。/   あなたはいかに恵まれてるものか。"   (詩篇128:2)と言われてるからである。"   あなたはいかに幸いなものか。   "はこの世においてである。"   あなたはいかに恵まれてるものか。"     来るべき世界を指す。   尊敬される物とはどんな者のことでしょうか?   他人を救う者。なぜなら   "   私を重んずるものを私は重んじ   私を侮(あなず)らはす物を軽んずる   "(サムエル上2:30)と言われてるからである。   2。   ベン・アッザイは言う   軽い掟を思い掟のごとく速やかに遵守して   罪から逃れなさい。なぜならば掟は別のおきてに導き   別の罪に導くからである。なぜならば掟の報いは掟であり   罪の報いは罪であるからである。   3。   彼はまた言っていた。どんな物をも軽蔑してはいけない。またどんなことも軽くあしらってはいけない。なぜならば自分の時が来ない者はいないし   またそのところを得ない者事物もないからである。   4。   ヤヴネーの人であるラビ・ベロカーは言う。誰であれひそかに天の名を冒涜する者は   人前で罰せられる。御名の冒涜は   過失であれ故意であれみな同じである。   5。彼の息子ラビ・イシュマエルは言う。教えるために学ぶものは   学びまた教えるための手だてを提供される。また実践されるために学ぶ者は   学び   教え   また遵守し実践するための手だてを提供される。   ラビ・ツァドクは言う。   6。   と言って使用されるラビYishmael息子:彼は教えるために学ぶ学習し   教えることの両方が有効になります。   しかし   実際に順番に学習し   彼は観察すること   教えること   そして練習し   学ぶために有効になります。   7。   律法を自分で殖やすための王冠作る   また   掘るための鍬としてそれを使用しないでください。ラビTzadokは言うために使用されます。   ヒレルが言って使用される:トーラーの王冠の世俗的な使用しています彼は滅びる。   したがって   あなたは律法の言葉を悪用するいずれかの生命の世界から自分を削除することを推論することがあります。   8。   ラビヨシは言うに使用される:彼は律法が人類によって名誉を彼自身である誰が栄誉。   律法をdishonors彼は彼自身が   人類が不渡りされなければならない。   9。   ラビYishmael息子は言った:彼は敵意   窃盗   偽証の裁判官のRID自身の事務所を遠ざかって誰。   彼は律法の問題で僭越ルールは   愚かな邪悪な   と傲慢です。   10。   一人ではない判断し   どれも一つを除いて単独で判断してはならないために:彼が言っていました。   そして   彼らはあなたを決定しないようにすることがあるため   "私の考えを受け入れない"と言う。   11。   ラビYonatanは言った:貧困の中で律法を満たしている彼は   最後には富でそれを満たさなければならない。   富に律法を無視し   彼は最終的に貧困でそれを無視しなければならない。   12。   ラビ・メイアは言った:ビジネスに少しを掛けますが   律法を自分で占有します。   すべての人の前に精神で謙虚である。   しかし   律法後のGdのあなたは労働力があなたを与えるために   豊富な報酬を持っている場合   それはあなたに自分自身を紹介します怠った律法は多くの原因を無視した場合。   13。   ラビエリエゼルベンヤコブは言っていた:1罪を犯した彼が彼自身に1つの告発を得ていながら   1命令を実行する彼は   自分自身に1つの支持者を獲得します。   懺悔と善行は罰に対するシールドのとおりです。   14。   ラビYochananはサンダルメ??ーカーは言った:神聖な目的のためにであるすべてのアセンブリは   最終的に確立しなければならない。   しかし   神聖な目的のためではない任意のアセンブリは   最終的に確立されてはならない。   15。   あなたの学生の名誉は   あなた自身のようにあなたのように貴重になりましょう   そしてあなたの教師敬意として同僚の名誉およびGdのあなたの畏敬の念など   先生に対する尊敬:ラビエラザールベンShammuaは言っていました。   16。   教育に注意して   故意の罪に金額を教えるのエラーのために:ラビユダは言っていました。   17。   ラビシモンは言うに使用:あり3冠です   -   トーラーの王冠   聖職者の冠と   王政の冠はなく   良い名前の冠は   それらすべてを凌駕しています。   18。   ラビNehoraiは言った:それはあなたの永久所有になるあなたの仲間であるために   律法の代わりに自発的な亡命として移動して   律法はあなたに従うことを言うことはありません。   あなた自身の理解に依存しないでください。   19。   ラビYannaiは言うに使用される:それは正しいの邪悪や悲しみのウェルビーイングを説明するために私たちの力ではありません。   20。   すべての人に挨拶の最初に:ラビMatyahベンChereshは言っていました。   ライオンの間で尾はなく   キツネに頭である。   21。   この世界は未来の世界への廊下のようなものです:ラビヤコブは言っていました。   あなたは宴会場に入ることが廊下に自分自身を準備します。   22。   また   彼は言う:世界の全ての生命が来るよりも懺悔とこの世界での善行の1時間です。   より良い   この世界のすべての生命よりも   世界に来るの精神的な休息の1時間です。   23。   ラビシモン・ベンエラザールは言っていた:彼の怒りの時にあなたの仲間をなだめる   また彼の死んだの嘘彼の前にしながら彼を慰めないでください。   彼の誓いの時に彼に質問しないでください。   自分の不名誉の時に彼を見ないようにしてください。   24。   サミュエル   "あなたの敵が倒れたときに喜ぶしないでください   彼らはつまずく   または他の主はそれを見て不快になる   と背を向ける時期あなたの心は喜んでさせない(箴言24:17-18)と言って使用される若い人そこから怒り。   "   25。   エリシャベンAvuyahは言うに使用される。子として学ぶ彼は   彼は次のように何ですか?   彼は新しい紙に書かれたインクのようなものです。   老人のように学習し   彼は   彼は何が好きですか?   彼は紙をブロッティングに書かれたインクのようなものです。   26。   Kefar   HA-Bavliのラビヨシバーユダは言った:若いから学ぶ彼は   彼は次のように何ですか?   彼は未熟なブドウやドリンク彼のワインを押してから新鮮なワインを食べるもののようです。   しかし   高齢者から学ぶ彼は   彼が好き何ですか?   彼は熟したブドウや飲み物昔のワインを食べるもののようです。   27。   ラビ・メイヤーは言うに使用:フラスコを見てはいけないが   何でそれで   昔のワインもその中に新しいワインを持っていない昔のフラスコがいっぱいです新しいフラスコがあるかもしれません。   28。ラビエレアザルHA-Kapparは言っていました。   嫉妬   欲望   野心   を人の世界から消します。   29。   彼はまた言って使用しました。生まれてきた彼らは   死ぬ運命にある。   死んでいる彼らは生きている行うことが運命づけられている。   住んでいると判断することが運命づけられている彼らは   その男性は知っているかもしれないと認識させると彼がG-dであることを理解し   彼は創作者であり   彼は創造主であり   彼はdiscernerですが   彼は裁判官であり   彼が証人であり   彼は訴追人   それは将来の裁判官には   祝福されたその存在が尊崇に値します。収賄もなく   彼になる神です。すべての神です。   すべてが計算によるとあることを知っています。   そして   あなたの邪悪な性質は   墓があなたの隠れ家になることを保証するものではありませましょう:自分の意思にかかわらずのためにあなたが作られ   自分自身の意思にかかわらず   あなたが生まれた   自分自身の意思にかかわらず   あなたは生き   そして自分自身の意思にかかわらず   あなたが死ぬと   自分自身の意思にかかわらず   あなたがに運命づけられているものである神   -   彼は祝福される王の至高王   -   聖なる者の前で申し開きと審判を行うことになってます。   「聖クルアーン第10章」   ユーヌス章   マッカ啓示109節   1-1.アリフ・ラーム・ラー。これらは英知に満ちた   啓典の御印である。   1-2.われがかれら(マッカ人)の中の1人(預言者ムハンマド)に啓示して   「あなたは人びとに(不信心の結末を)警告しなさい。また信仰する者には   主の御許で優れた足場を与えられるとの   吉報を伝えなさい。」と命じたことが(マッ力の)人びとに(それ程)驚きであるのか。(だが)不信心者たちは   「これは明らかに魔術師です。」と言う。   1-3.本当にあなたがたの主はアッラーである。6日の間に天と地を創造され   それから(大権の)玉位に鎮座して   凡ての事物を規制統御なされる。かれの許しを得た後でなければ   執り成す者はない。これがあなたがたの主   アッラーである。かれに仕えなさい。あなたがたは   訓戒を受け入れないのか。   1-4.あなたがたは皆一緒にアッラーの御許に帰る。アッラーの約束は真実である。本当にかれは創造を始め   そしてそれを繰り返される。これは信仰して善行をした者に   公正に報われるためである。だがかれを信仰しない者には   煮えたった飲物と   痛ましい懲罰がある。これはかれらが不信心であったためである。   1-5.かれこそは太陽を輝やかせ   月を灯明とされ   その軌道を定め   年数(と時日)の計算をあなたがたに教えられた方である。アッラーがこれらを創造されたのは   只真理(を現わすため)に外ならない。かれは知識ある人びとに印を詳しく述べられる。   1-6.本当に夜と昼との交替   またアッラーが天と地の間に創られる凡てのものの中には   主を畏れる者への印がある。   1-7.本当にわれとの会見を期待しない者   また現世の生活に満足してこれに安心している者   そしてわれの印を疎かにする者   1-8.これらの者の住まいは   その(悪い)行いのために地獄である。   1-9.本当に信仰して善行に励む者には   かれらの主は   その信仰によってかれらを導かれる。至福の楽園の中に   川はかれらの足元を流れるのである。   1-10.その中でかれらの祈りは   「アッラーよ   あなたの栄光を讃えます。」であり   またそこでのかれらの挨拶は「平安あれ。」であり   そして祈りの結びは   「万有の主アッラーを讃えます。」である。   1-11.かれらが幸福へと急ぐよう   もしアッラーが人びとに対して悪を急がれるならば   (猶予の)期間はきっと終らされたであろう。われとの会見を望まない者には   法外の混乱の中で当てもなくさ迷わせることであろう。   1-12.人びと(不信心者たち)が苦難に会った時は   横たわり   あるいは座り   あるいは立っていても(どんな状態のもとでも)われを呼ぶ。だがわれがかれらから苦難を除くと   (まるで)かれらを苦しめた(以前の)不幸のためわれを呼ばなかったかのように過ごしてしまう。このように愚かな者は   その行いを(悪魔によって)立派だと思わせられる。   1-13.本当にわれはあなたがた以前にも   かれらが不義を行ったために   幾多の民族を滅ぼした。使徒たちが明証をかれらに与えたのだが   かれらは信じようとはしなかった。このようにわれは   罪を犯した民に報いる。   1-14.それからわれはかれらの後に   この地をあなたがたに継がせた。これはあなたがたが   如何に行うかを見るためである。   1-15.ところがわれの明瞭な印が   かれらに読み聞かされた時   われと会うことを望まない者たちは言った。「これとは別のクルアーンを持って来なさい。それともこれを改竄しなさい。」言ってやるがいい。「わたしは自分の裁量でこれを改竄することは出来ない。只   わたしに啓示されたものに従うだけである。わたしがもし主に背いたならば   偉大な日の懲罰を本当に恐れる。」   1-16.言ってやるがいい。「アッラーの御心なら   わたしはあなたがたにそれを読誦せず   またかれは   あなたがたに教えられなかったであろう。その(啓示)前に   わたしは確かにあなたがたの間で   一生ほどの(40年の)歳月を過ごした。あなたがたは未だ悟らないのか。」   1-17.アッラーに就いて偽りを捏造し   その啓示を拒否するほど   甚だしい不義の者があろうか。罪を犯す者は   決して成功しないのである。   1-18.かれらはアッラーの外に   かれらを害せず   また益のないものに仕えて   「これら(の神々)は   アッラーの御前でわたしたちを執り成すものです。」と言う。言ってやるがいい。「あなたがたは   天地においてアッラーの知らないことを   かれに告げようとするのか。」かれを讃えなさい。かれはかれらが配するものの上に高くおられる。   1-19.人間は(元来)唯一族(1つのウンマ)であった。もし以前にあなたの主から下された御言葉がなかったならば   その相違点に就いては   かれらの間に採決が下されてしまっただろう。   1-20.かれらは言うであろう。「何故主から一つの印もかれ(ムハンマド)に下されないのだろう。」言ってやるがいい。「幽玄界のことは   只アッラーが御支配しておられる。だから待て。わたしもまた   あなたがたと共に待つ者である。」   1-21.われが人間に災厄を味わせた後   慈悲を与えると   見よ   かれらはわが印に対して策謀をする。言ってやるがいい。「アッラーは   策謀に対して迅速に処置される。」本当にわが使徒たち(天使)は   あなたがたの策謀することを凡て記録するのである。   1-22.かれこそはあなたがたを陸に   また海に旅をさせられる御方である。それであなたがたが船に乗る時   それが順風に乗って航行すれば   かれらはそれで喜ぶ。暴風が襲うと   大波が四方から押し寄せ   かれらはもうこれまでだと観念して   アッラーに向かって   信心を尽くして祈る。「あなたが   もしわたしたちをこれから救い下されば   必ず感謝を捧げる者になります。」   1-23.だがかれが救助してみると   見よ   かれらは地上において正義を侮って不義を行う。人びとよ   あなたがたの反逆は只自分自身の魂を害し   現世の生活で享楽を得るだけであるが   あなたがたはすぐにわれに帰るのである。その時われは   あなたがたの行ったことを告げ知らせるであろう。   1-24.本当に   現世の生活を例えれば   天からわれが降らせる水(雨)のようなものである。それで土を潤し   人間や家畜の食べ物を茂らせる。大地が美麗な装いで覆われて飾られると   そこの(住)民は   その全権を持ったと思い込む。だがわが命令が   夜も昼も一度下れば   昨日は繁茂していなかったかのように刈り取られたもののように変えてしまう。われはこのように   熟慮する人びとのために(われの)印を解明する。   1-25.本当にアッラーは   人を平安の家に招き   また御好みになられた者を正しい道に導かれる。  

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合唱組曲 島よ (朗読) (お話です)「イスラム教 クルアーン 第三十章 羅馬人(ローマジン)」「タルムード」「愛の価値」

合唱組曲 島よ (朗読) (お話です)「イスラム教 クルアーン 第三十章 羅馬人(ローマジン)」「ユダヤ教 タルムード」「愛の価値」「イスラム教 聖クルアーン 第30章 羅馬人(ローマジン)」 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。 1. アリフ・ラーム・ミーム。 2. ビザンチンの民は打ち負かされた。 3. 近接する地において(打ち負かされた)。だがかれらは,(この)敗北の後直ぐに勝つであろう。 4. 数年の中に(勝利を得よう)。前の場合も後の場合も,凡てはアッラーに属する。その日,ムスリムたちは喜ぶであろう。 5. アッラーの勝利を(喜ぶであろう)。かれは御望みの者を助けられる。かれは偉力ならびなく慈悲深き御方であられる。 6. (これは)アッラーの約束である。アッラーはその約束を違えられない。だが人びとの多くは理解しない。 7. かれらの知るのは,現世の生活の表面だけである。かれらは(事物の)結末に就いては注意しない。 「The value of love:愛の価値」 アボットは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザカイ (Rabbi Yohanan ben Zakkai) が、ラビである五人の生徒に与えら普通でない宿題の記録を含んでいる。それは二つの質問からなる。 どれが人の固守すべき正しい道なのか、出て行って見てきなさい......。人が遠ざけなければならない邪悪な道はどれなのか、出て行って見てきなさい。 [ Avot 2:9 ] ヨハナン・ベン・ザカイが「出て行って」と言っているように、彼らの答えを教室の外で、毎日の行動の世界の中で、探すように告げていた。あなたは、五人の学生ラビが彼に与える答えを読み進む前に、紙とペンを取ってあなた自身の答えを少ない言葉で書いてみなさい。正義と公平をするための鍵は何だと思いますか。もし我々が邪悪を避けるつもりなら、避けなければいけないものは何だと思いますか。 我々の各々は、何が我々を痛めているか、我々が痛い時はいつかを知っている。我々が自分自身を愛している時、自分が痛くないようにと、痛くなることから自分を保持しようと努力している。我々が痛みの意味を理解した時のみ、我々は他人がいかに感じるかを理解し始める。 つまりこのことが、ヒレルの質問がこの文で終わっていない理由である。 "If I am not for myself, who will be for me ?" ヒレルの質問はつづく。 "And if I am only for myself, what am I ?" "And if not now, when ?" もし人が彼自身のためだけならば、もし彼が重大な人は自分だけであると考えるほど利己的であるならば、彼は全ての意味を失っている。それは現実を離れて横に歩く道であり、真の愛からはずれた臆病者の道である。臆病者は彼自身を愛すことができない。 ヒレルの質問 "If I am not for myself, who will be for me ?" は、我々が自分自身を評価し我々の可能性を評価しなければならない、我々が自重して行動するよう自分自身を訓練しなければならない、ことを意味している。もし我々がそうすれば、我々が他の人々に対して正しく行動することに、そして自分自身を尊敬すると同様に他の人々を尊敬することについて我々が基礎をもつであろう。何が良いことで寛大なことか、そして何が悪いことで利己的なことか、我々がその間の内部バランスを創る努力をするのとちょうど同じように、また我々自身の考慮と我々の隣人たちの考慮との間の内部バランスを創る努力をしなければならない。我々はお互いを愛さなければならない。 そして、我々の伝統は我々自身を良くする訓練を助け、我々がとる行動の種類において我々自身を愛する理由の発見を助ける、これと同様に、それは他の人々と一緒に我々自身が生活する訓練を助ける。我々の各々が「良い心の道」に従う努力をして、我々がお互いに痛みを避ける努力をするような社会を一緒に築かなければならない。共同体社会の全てのメンバーが個々に良いという理由で、共同体社会が「良い心の道」に従う、そんな社会を我々は築かなければなりません。 これが「The value of community」共同体の価値の本質である、そこでは ヒレルの第二の質問を答える努力をする。 "And if I am only for myself, what am I ?"

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.7.7. 03:59
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タグ: 合唱組曲   島よ   (朗読)   (お話です)「イスラム教   クルアーン   第三十章   羅馬人(ローマジン)」「ユダヤ教   タルムード」「愛の価値」「イスラム教   聖クルアーン   第30章   羅馬人(ローマンジン)」   「ペルシャ軍がローマを敗北させて   キリスト教の権威を落とさせて   絶頂だったペルシャ軍について   いずれ逆にローマが   ペルシャに勝利することを   実際に勝利する数年前に   ムハッマド預言者が予言したことについて   ユダヤ教の預言者エレミアが   エルサレム神殿の礼拝を行わねば   滅びるということを予言して   バビロニアに捕囚されるということが   預言者と信仰対象の神についての   イスラム教徒ユダヤ教の   共通項と異なる事が気になります。」   「タルムード」   「愛の価値」   「聖クルアーン」   「第30章   羅馬人(ローマジン)」   慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。   1.   アリフ・ラーム・ミーム。   2.   ビザンチンの民は打ち負かされた。   3.   近接する地において(打ち負かされた)。だがかれらは,(この)敗北の後直ぐに勝つであろう。   4.   数年の中に(勝利を得よう)。前の場合も後の場合も,凡てはアッラーに属する。その日,ムスリムたちは喜ぶであろう。   5.   アッラーの勝利を(喜ぶであろう)。かれは御望みの者を助けられる。かれは偉力ならびなく慈悲深き御方であられる。   6.   (これは)アッラーの約束である。アッラーはその約束を違えられない。だが人びとの多くは理解しない。   7.   かれらの知るのは,現世の生活の表面だけである。かれらは(事物の)結末に就いては注意しない。   8.   かれらは反省しないのか。アッラーが天と地,そしてその間にある凡てのものを創造なされたのは,唯真理のため,また定めの時のためであることを。だが人びとの多くは,主との会見を否認する。   9.   かれら(マッカの多神教徒)は,地上を旅してかれら以前の者の最後が如何であったかを,観察しないのか。かれら(昔の人)は,かれらよりも力において優れ,地を掘り起こし(て耕作し),またかれらよりも栄えていた。そして使徒たちは明証を持ってかれらのところに来た。アッラーがかれらを損ったのではない。かれらが自ら自分を損ったのである。   10.   所詮悪行の徒の最後は悪い。それはかれらがアッラーの印を虚偽であるとし,それを愚弄していたためである。   11.   アッラーはまず創造を始め,それからそれを繰り返し,それからあなたがたをかれに帰される。   12.   (審判の)   時が到来する日,罪のある者は絶望するであろう。   13.   そしてかれらが(われに)配した(神々の)中には,かれらのために執り成す者もなく,またかれらも,これらの配したものたちを否認する。   14.   (審判の)時が到来するその日には,(凡ての人は)ちりぢりにされるであろう。   15.   その時,善行に勤しんだ者は,緑の野辺で,幸せにされよう。   16.   信仰を拒否しわが印と来世での(主との)会見を虚偽であるとした者は,懲罰に付せられよう。   17.   それで,夕暮にまた暁に,アッラーを讃えなさい。   18.   天においても地にあっても,栄光はかれに属する。午后遅くに,また日の傾き初めに(アッラーを讃えなさい)。   19.   かれは,死から生を(打?)し,また生から死を(打?)され,また枯れ果てた大地を甦らせる。これと同じようにあなたがたも引き出される。   20.   かれが,泥からあなたを創られたのは,かれの印の一つである。見るがいい。やがてあなたがた人間は(繁殖して地上に)散らばった。   21.   またかれがあなたがた自身から,あなたがたのために配偶を創られたのは,かれの印の一つである。あなたがたはかの女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ),あなたがたの間に愛と情けの念を植え付けられる。本当にその中には,考え深い者への印がある。   22.   またかれが,諸天と大地を創造なされ,あなたがたの言語と,肌色を様々異なったものとされているのは,かれの印の一つである。本当にその中には,知識ある者への印がある。   23.   またかれが,あなたがたを夜も昼も眠れるようにし,またかれに恩恵を求めることが出来るのも,かれの印の一つである。本当にその中には,聞く者への印がある。   24.   またかれが,恐れと希望の稲光をあなたがたに示しなされ,天から雨を降らせて,死んだ後の大地を甦らせられるのは,かれの印の一つである。本当にその中には,思慮ある者への印がある。   25.   またかれが,御意志によって,天と地を打ち建てられたのは,かれの印の一つである。そこで,(一声)あなたがたに呼び掛けられると,見るがいい。たちまち大地からあなたがたは(引き)出される。   26.   天と地にある凡てのものは,かれに属する。万有は,真心込めてかれ従属する。   27.   かれこそは先ず創造を始め,それからそれを繰り返される御方。それは,かれにおいてはとてもた易いことである。天と地における,(考え得られる)最高の姿は,かれに属する。かれは偉力ならびなく英明であられる。   28.   かれは,あなたがた自身(の経験)から,一つの譬えを提示なされる。あなたがたは,自分の右手の所有する者たち(奴隷)を,われがあなたがたに与えたものを同等に分配する仲間にするだろうか。あなたがたが互いに気付かうように,かれら(奴隷たち)に気兼ねするだろうか。(そうではあるまい)。このようにわれは,思慮ある者に印を説き明かす。   29.   いや,不義を行う者は知識もなく私利私欲に従う。アッラーが迷うに任せられた者を,誰が導けようか。かれらには救助者はないであろう。   30.   それであなたはあなたの顔を純正な教えに,確り向けなさい。アッラーが人間に定められた天性に基いて。アッラーの創造に,変更がある筈はない。それは正しい教えである。だが人びとの多くは分らない。   31.   悔悟してかれに返り,かれを畏れなさい。礼拝の務めを守り,偶像信者の仲間になってはならない。   32.   それは宗教を分裂させて,分派を作り,それぞれ自分の持っているものに喜び,満足している者。   33.   災厄が人びとを悩ます時かれらは悔悟して主に祈る。だがかれが,慈悲をかれらに味わせると,たちまち一部のをは主に(外の神々を)配し,   34.   われが与えたものを有り難く思わないようになる。(僅かの年月を)享楽するがいい。   だがやがて分るであろう。   35.   われに配しているものを支持する権威を,われがかれらに下したとでもいうのか。   36.   われが人間に慈悲を味わせると,かれらはそれに狂喜する。だが自分の行いのために災厄が下ると,たちまち,かれらは絶望する。   37.   かれらは見ないのか,アッラーが御望みの者に,糧を増し,また減らしなされるのを。本当にその中には,信仰する者への印がある。   38.   それで近親の者に,しかるべきものを与えよ。また貧者と旅人にも。それは,アッラーの慈顔を求める者たちにとり,最も善いことである。これらは,栄える者たちである。   39.   あなたがたが利殖のために,高利で人に貸し与えても,アッラーの許では,何も増えない。だがアッラーの慈顔を求めて喜捨する者には報償が増加される。   40.   アッラーこそは,あなたがたを創り,扶養され,次いで死なせ,更に甦らせられる方である。あなたがたが(捏造しかれに)配したものの中,これらのことの一つでも出来るものがあるか。かれに讃えあれ。かれはかれらが配するものの上に高くおられる。   41.   人間の手が稼いだことのために,陸に海に荒廃がもう現われている。これは(アッラーが),かれらの行ったことの一部を味わわせかれらを(悪から)戻らせるためである。   42.   言ってやるがいい。「地上を旅して,(あなたがた)以前の者たちの最後が,どうであったかを観察しなさい。かれらの多くは多神教徒であった。」   43.   それでアッラーから避け得ない日が来る前に,あなたの顔を正しい教えにしっかり向けなさい。その日かれらは(2群に)分けられよう。   44.   不信心の者は,その不信心のために責めを負う。また正しい行いの者は,自分自身のため(天国に)褥を用意するようなもの。   45.   信仰して善行に動しむ者には,かれは恩恵により報われる。本当にかれは,不信心者を御好みになられない。   46.   吉報の前触れとして風を送るのは,かれの印の一つである。あなたがたにかれの慈悲(降雨と肥次)を味わわせるためであり,またかれの御意志により舟を滑るように進ませ,またあなたがたは,かれの恩恵(海上貿易による利益)を求めるためである。あなたがたは必ず感謝するであろう。   47.   本当にわれはあなた以前にも,使徒たちを(それぞれの)民族に遣わし,かれら(使徒)は,かれらに明証を(西?)した。そしてわれは,罪を犯した者に報復した。だが信仰する者を助けるのは,われの務めである。   48.   アッラーこそは,風を送りそれで雲を起こされる御方であられる。それから御心のままに天にそれを広げ,粉微塵にそれを打ち砕かれる。するとあなたは,その間から出て来る雨滴を見る。かれは,そのしもベの中,御心に適う者にそれを降らせられる。見るがいい。かれらの喜ぶ様子を。   49.   かれらに(雨を)降らせる前,失望にうちひしがれていたのだが。   50.   さあアッラーの慈悲の跡をよくみるがいい。かれが如何に,死んだあとの大地を甦らされるかを。このようにかれは,死んだ者を甦らせる。かれは凡てのことに全能であられる。   51.   だが,われが風を送っても,(作物が)黄ばむのを見ると,その後かれらは,必ず不信心になる。   52.   あなたは,死者にものを聞かせることは出来ない。また,背を向けて逃げ去る聞こえない者に,呼び掛けても聞かせることは出来ない。   53.   またあなたは,(ものごとの)分らない盲目を,迷いから導くことも出来ない。あなたは,只われの印を信じて服従,帰依する者だけに,聞かせることが出来るのである。   54.   アッラーは,あなたがたを弱い者に創られ,それから弱い者を後で,強壮にされ,強壮な者を弱い白髪になされる。かれは御自分の望みのままに創られる。かれは全知にして全能であられる。   55.   (審判の)時が,到来するその日,罪深い者たちは,わたしたちは一時しか(墓に)留まらなかったと誓うであろう。このように,かれらは欺かれていた。   56.   だが知識と信仰を授かった者たちは,言うであろう。「あなたがたはアッラーの定めに基いて,復活の日まで確かに滞在しました。これが復活の日です。だがあなたがたは気付かなかったのです。」   57.   だがその日になってからでは,悪を行った者の弁解も益がなく,またかれらは(悔悟して御恵みを請う)ことも出来ないであろう。   58.   本当にわれは人びとのため,このクルアーンの中に種々の譬えを提示した。だがあなたが,仮令どの一節を持ち出しても,信じない者は必ず,「あなたがたは虚偽に従う者に過ぎません。」と言うであろう。   59.   このようにアッラーは,理解しない者の心を封じられる。   60.   だから耐え忍ベ。本当にアッラーの約束は真実である。確りした信心のない者たちのせいで,あなたまでが動揺してはなりません。   「タルムード」   「The   value   of   love:愛の価値」   アボットは   ラビ・ヨハナン・ベン・ザカイ   (Rabbi   Yohanan   ben   Zakkai)     ラビである五人の生徒に与えら普通でない宿題の記録を含んでいる。それは二つの質問からなる。   どれが人の固守すべき正しい道なのか   出て行って見てきなさい......。人が遠ざけなければならない邪悪な道はどれなのか   出て行って見てきなさい。   [   Avot   2:9   ]   ヨハナン・ベン・ザカイが「出て行って」と言っているように   彼らの答えを教室の外で   毎日の行動の世界の中で   探すように告げていた。あなたは   五人の学生ラビが彼に与える答えを読み進む前に   紙とペンを取ってあなた自身の答えを少ない言葉で書いてみなさい。正義と公平をするための鍵は何だと思いますか。もし我々が邪悪を避けるつもりなら   避けなければならないものは何だと思いますか。   The   answers   五人の学生ラビの答えは   この本の前半の我々の勉強の要約となるのものである。ユダヤ人の行動に対して我々自身がいかに準備したらよいか   これに関してここに集められたアイデアの多くは   ラビたちが与えた答の中に含まれている。これらのアイデアの幾つかは   またあなたが書いた短い答えの中に   おそらく含まれている。我々が勉強してきた道にあなたがどれだけ近づいてきたか見てみよう。あなたはこれらの質問にどのように答えるのでしょうか?   The   answers   of   Rabbi   Eliezer   (1)ラビ・エリエゼルの答え   エリエゼルはスポンジのような記憶力を持った学生であった。注がれた水の全ての一滴までも捕えてしまう水がめのようなので   彼の先生は彼を「セメントの水がめ」と呼んだ。エリエゼルはかって聞いたトーラの全ての教えを記憶していた。そんな人はこの二つの質問にどう答えるであろうか?   エリエゼルは言った   固守すべき正しい道は「良い目」で   避けるべき邪悪な道は「邪悪な目」である。我々は「邪悪な目」によって意味していることを簡単に理解することができる。それは世界を見て   生きる所として醜い   不幸な   みすぼらしい場所を探す道である。「邪悪な目」は   ねたみ   嫉妬   絶えず続く不平そして不幸に耐える。     ある男が彼のラビの前に現われて言った:「私は良いことをするという仕事を止めましたよ。私の一生で   人々は私が良かったら成功するだろうと言っていた。しかし見よ   ここに邪悪であったが成功した人の20人のリストを持っているこれから   私の客をだますことにしよう   そして私もまた金持ちになろう。」ラビは笑って言った:「私は邪悪で成功した人のあなたのリストを見た。しかし   良いことで成功した人のあなたのリストはどこにあるのか?」   人が「邪悪な目」を通して世界を見る時   彼は自然に邪悪であるところの事のみを見ている   そして彼はすべてのものによって妨害されているのだ。「良い目」の人はちょうどその反対である。「良い目」を通しての世界は   喜び   歓声そして   満足   安心の場所である。「良い目」は我々の宗教的な知覚であり   我々を通して世界の中にどんな良いことがもたらせられるのかを知るための我々の能力である。   エリエゼルの答えは   我々にこう告げている:我々が本当に何を見ているかは   我々が物事を見る方法に依存しているのだ。   ことわざが言う:「良い目」を持った人は祝福されるであろう   彼は貧しい者にパンを与えるからである。   (箴言22:9)   言い換えれば   たとえ「良い目」を持った人彼自身が貧しくても   彼はもっと貧しい人を見つけて慈善をするであろう   なぜならば彼の「良い目」が彼自身を金持ちであるとして自分を認めるからである。   箴言=しんげん   箴言22:9の解説:   「良い目」を持った人は祝福されるであろう   彼は貧しい者にパンを与えるからである。   (箴言22:9)   これは聖書の原文であるヘブライ語からの翻訳ですが   日本語や英語の聖書を読むと訳が違っているのに気づきます。   例えば   「新共同訳」聖書では   「寛大な人」は祝福を受ける   自分のパンをさいて弱い人に与えるから。   (箴言22:9)   また   英訳の「Holy   Bible」では   A   generous   man   will   himself   be   blessed   for   he   shares   his   food   with   the   poor.   (   Proverbs   22:9   )   この日本語や英訳の   「寛大な人/generous   man」が慈善をする   というのはあたりまえで   ここには新しい教訓がなく   面白くも何ともない。ヘブライ語原文の   「良い目の人」が慈善をする   という謎めいた教訓の方がはるかに知的で感動しませんか。偉大なソロモン王が創作したことわざ集と言われる「箴言」   その彼の作品の苦労の一端を少し理解できたわけです。   Rabbi   Joshua's   answer   (2)ラビ・ヨシュアの答え   ヨシュアによると   従うべき良い道は「良い友」であり   避けるべき道は「邪悪な友」である。ヨシュアの答えは「腐ったリンゴは束をだめにする」という古い格言を思い起こさせる。しかし彼の考えは   アボットの他の所で別の人々が表現しているものとそんなに変わらなかった。例えばアルベル人のニッタイ   (Nittai   the   Arbelite)   がこう言った:邪悪な友人からあなた自身が離れているように   邪悪と組するな。   [   Avot   1:7   ]   ザドク   (Zadok)   とヒレル   (Hillel)   は同意した:人は共同体社会から彼自身を分離すべきではない。そして   これはまたこう教えられた   我々は邪悪の人々から我々自身を分離すべきであると。あなたはきっと「腐ったリンゴ   (rotten   apple)   」のタイプを知っているでしょう。彼はこう言う人です:「この雑誌を盗もう   本屋は絶対に気付かないから」「今日だけ学校をさぼろう   何と時間を持てるんだから!」彼は   これらの事は結局そんな悪いことではないのだと   あなたに考えさせるような人なのだ。「他の人たちもそうしている   罰っせられないよ。あんたはなぜしないの?」腐ったリンゴの人はあなたに「邪悪の衝動」を直接にしゃべる人なのだ。   ヨシュアによると   従うのに最も悪い道は   邪悪な仲間があなたを導くその道である。最も良い道は   良い友人と共同体社会の道である。我々が選んだ友人たちが良い道の人たちである時   我々は彼らをもっと好きになる。また我々自身が他の人々に良い友人となり   正しい道に彼らを導く。ヨシュアはこの彼自身のようであった。彼は   彼を知っている全てへの祝福であった。   Rabbi   Yose's   answer   (3)ラビ・ヨセの答え   ヨセの答えはヨシュアの答えにとても類似していた。ヨセは答えた:従うべき良い道は「良い隣人」であり   避けるべき道は「邪悪な隣人」である。共同体社会という言葉の考えを除いて   実際に「良い友」と「良い隣人」との差はないであろう。   ヨセが区別しているのはこういうことである。「良い隣人」はグループで一緒に仕事することによってなされる事に関連している。「良い隣人」は彼の芝生が保持されている道を気にかけ   彼のごみをいかに処理するかに気を使う。一般に   彼のまわりに住んでいる人々の気持ちを深く考える。「良い隣人」になるということは   緊張が関係しているところの他の物事に向かってゆく態度を開発するという意味がある:近所に住んでいる人々全ての幸福への関係   共同体社会の将来への関係   共同体社会が選択するところの生活の道への関係。そんな関係は「良い隣人」のしるしである。   「邪悪な隣人」がすることは利己主義である。「邪悪な衝動」が成し遂げることができる最大の害の一つが「邪悪な隣人」に人を変えることである。他の人々は共同体社会にプライドを持つが   一方   「邪悪な隣人」は自分だけのためにしか注意を払わない。共同体社会が危険な状態になる   あるいは悪い時期に落ちる時は   それは単純に「邪悪な隣人」が移り住んで来て   彼はもう一つの共同体社会の中で自分の安らぎを探そうとする時である。   我々は時々   近所が「悪くなってきている」あるいは住むのに難しくなってきている   ということを聞く。通常このことは   近所の人々がお互いに「良い隣人」になることを止めて   彼ら自身のためだけに心配するという「邪悪な隣人」の作法を行ない始めたためなのである。   Rabbi   Simeon's   answer   (4)ラビ・シモンの答え   シモンの答えは全く異なっていた。シモンは言った:従うべき良い道は   自らの行動の「結果を考える人」である。人がある方法で行動するときにその結果が何かを知る   そのことの助けとして宗教的な知覚を使う人は   他人に害を与えるような過ちを少なくするであろう。人々は通常は残酷な行動をとろうとはしないものだ   しかし   しばしば考え無しで行動することがある。   例えば   しばしば我々を勝たせるために我々の怒りを許してしまい   そして我々が本当は世話するところの他人を侮辱してしまう。そんな振る舞いが他人に起こす苦痛を前もって考えておくことが   普通にはこんな風に我々の怒りを表わさないで維持できるであろう。   また   我々の行動の「結果を考える」ためには   我々は行動する前に証拠を集めなければならない。我々にとって   このことは結果あるいはその可能な結果を学ぶことを意味する。我々が前もって行動の可能な結果を学ぶ時   我々はもっと親切に行動するようになる。なぜならば我々の行動が他人   そして結局は我々自身   をいかに害するかもしれないと知るからである。   このような老人の物語がある。ある老人が彼の最後の年に彼の息子の家族のもとで住むためにやって来た。さて彼の息子は   彼の父に食事に使うのを許したら   父がその上等な陶器を壊してはしまわないかと恐れた。それでその息子は老人のために食事に使う木のおわんと木のスプーンを準備した。   さてある日   その息子が家に帰ってきて   彼自身の息子がナイフで木の片を削っているのを見た。「何をしているのかい?」   彼は子供に言った。「お父さんがおじいちゃんのように年とった時に   お父さんが食べるための木のおわんを作っているんだよ」   と子供は言った。   シモンの二つ目の質問の答えは   人が避けるべき道は「借りたのに返さない人」であった。最初は   これは彼の行動の「結果を考える」ことの正反対ではないように思われるが   しかし本当の意味では正反対なのである。返すことを考えずに借りる人は明らかに彼の行動の結果を深く考えてはいない。ラビはこう教えた:我々は   自分自身の財産と同じように   他人の財産を尊重すべきである。我々が何かを借りた時   我々自身の所有物にするのと同じように注意深く扱うべきである。   シモンは説明を続けた:我々が他の人から借りた時   我々は「神から借りている人」のようである。最後の分析では   我々が所有している全てのものは「神から借りている」。慈善をすることは我々が借りていたものに対する払戻しの一種である。詩に書かれているように   邪悪な者は借り   そして返さない   正義の者は憐み   そして与える。   (詩編37:21)   The   answers   of   Rabbi   Eleazar   (5)ラビ・エルアザルの答え   最後の答えはラビ・エルアザル・ベン・アラクのものである。エルアザルは言った:従うべき良い道は「良い心」であり   避けるべき道は「邪悪な心」である。   ラビ・ヨハナンは彼の学生たちにの答えをよく聞いた後に   彼は言った:わたしはラビ・エルアザル・ベン・アラクの言葉を取る。あなたたちの言葉は彼の言葉に含まれているからだ。   [   Avot   2:9   ]   「良い心」の考えは   おそらく   我々がもう終わっている「study」の(The   value   of   study   :   勉強の価値)で最もよく要約されている。全ての事が「良い心」を持つという考えの中に入ってゆく......我々の各々が持ち得る人間という種類の性質の全ての事。   「良い心」を持った人は   彼のまわりの全てにあるところの良いものと見る   そして彼自身の行動を通してそれに加える。「良い心」を持った人は   神のイメージで生活し   他の人々を尊敬するよう努力している。ラビの有名な話の一が良い例である:私は(神の)創造物であり   私の隣人もまた彼の創造物である。私の仕事は町にあり   彼の仕事は畑にある。私は私の仕事のために早く起きる   彼は彼の仕事のために早く起きる。彼は私の仕事を越えることはできないように   私も彼の仕事を越えることはできない。しかしあなたは言うであろう   私は大きなことをしている   そして彼は小さなことをしている。我々は学んだ   人がすることが多かろうが少なかろうがそれが問題ではない   もし彼が天に向けて彼の心を導いてさえいれば。   [   Berachot   17a   ]   The   path   of   the   good   heart   我々はこの教えを「良い心の道」と呼ぶかもしれない。ラビがヤバネの学校   (the   academy   at   Yavneh)   時代に教えていた時と同様に   それは今でも真実である。あなたが医者あるいは労働者   料理長   店員   警官あるいは店主であろうともそれが問題ではない。人間を偉大にするところのものは「良い心の道」に従うことである。   人は言うかもしれない   私は賢人になるほど学んでいなかった   私は法律(トーラ)を勉強しなかった   私はすべき何なのか(what   am   I   to   do)?しかし神はそのイスラエル人に言った   全ての知恵も全トーラも簡単な一つのことなのだ。私を恐れる者   そしてトーラを行なう者は   彼の心の中に全ての知恵と全トーラを持っているのだ。   [   Deuteronomy   Rabbah   11:6   ]   全トーラが行ないで見られる   ということを示すために   ラビはこう教えた:トーラの最後の文字は「lamed」であり   トーラの最初の文字は「bet」である。これらの文字を連げると単語「レブ」となる   これは「心」を意味する。このことは   イスラエルの法律であるトーラの中に含まれている全てのものは   各々のユダヤ人の心の中に含まれている   ということを示しているのだ。   トーラの最後の文字は「lamed」であり   トーラの最初の文字は「bet」である。   これについて解説します。トーラの最後の文は   申命記の最後の文章:また   モーセが全イスラエルの目の前で   あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。   (申命記34:12)   ヘブライ語での原書では   最後の単語が「イスラエル」ですから   最後の文字は「ル」つまりヘブル文字「lamed」です。トーラの最初の文は   創世記の最初の文章:初めに   神は天地を創造された。   (創世記1:1)   ヘブライ語での原書では   最初の単語が「ベレッシート」ですから   最初の文字は「ベ」つまりヘブル文字「bet」です。トーラの最後と最初をつなげる   という発想がユニークなんですが   「..............イスラエル」+「ベレッシート...............」これらの文字を連げると   「ル」+「ベ」   つまり「lamed」+「bet」これは単語「レブ」と発音して「heart(心)」を意味します。   我々はヒレル   (Hillel)   によて提案された質問:   If   I   am   not   for   myself   who   will   be   for   me   ?   について各々が答えを見つけなければならない。   我々の伝統だけではこの質問の答えを我々に教えることはできない   その答えはもっと身近にあるからであり   それは我々の各々の心の中にある。我々の伝統が我々に教えることができるのは   それがあなた自身の「ために」なると意味していることであり   そして   Who   will   be   "for"   you   when   you   act   for   yourself.   ヒレルの質問は一つの中に百の質問がある:   If   I   am   not   myself   who   will   be   me   ?   If   I   do   not   take   part   in   my   community   who   in   the   community   will   take   my   part   for   me   ?   If   I   do   not   take   a   stand   in   my   own   name   who   will   fight   for   what   I   believe   ?   If   I   do   not   work   to   make   myself   better   who   will   do   that   work   for   me   ?   If   I   do   not   direct   my   actions   who   will   direct   them   for   me   ?   And   more.   我々の伝統が我々に教えているのは   我々は我々の行動を通して良くなることができ   良くなることは達成するのにそんなに難しいことではなく   そして良くなることへの報酬は結果として良いことである   ということである。それで   彼自身の「ために」実行することを欲する人は   他の人々の「ために」もまた実行するであろう。   トーラの戒律「あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい」   これは他の人々を愛すためにはまず最初にあなた自身を愛さなくてはならない   ということを意味している。     ラビがこう教えていた。トーラが「あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい」と言う時は   何を意味しているのか。彼は一人の学生の方に向いて聞いた。「私を愛していますか?」学生は少し考えてから正直に答えた。「私はそう思います。」ラビは言った。「では   私を痛めているものは何か   言ってみなさい。」学生は答えた。「あなたを痛めているものは何か知りません。」「それなら   あなたは私を愛してはいない。」ラビは言った。「誰かを愛することは彼を痛めているものは何かを知ることを意味する。」   我々の各々は   何が我々を痛めているか   我々が痛い時はいつかを知っている。我々が自分自身を愛している時   自分が痛くないようにと   痛くなることから自分を保持しようと努力している。我々が痛みの意味を理解した時のみ   我々は他人がいかに感じるかを理解し始める。   つまりこのことが   ヒレルの質問がこの文で終わっていない理由である。   "If   I   am   not   for   myself   who   will   be   for   me   ?"   ヒレルの質問はつづく。   "And   if   I   am   only   for   myself   what   am   I   ?"   "And   if   not   now   when   ?"   もし人が彼自身のためだけならば   もし彼が重大な人は自分だけであると考えるほど利己的であるならば   彼は全ての意味を失っている。それは現実を離れて横に歩く道であり   真の愛からはずれた臆病者の道である。臆病者は彼自身を愛すことができない。   ヒレルの質問   "If   I   am   not   for   myself   who   will   be   for   me   ?"     我々が自分自身を評価し我々の可能性を評価しなければならない   我々が自重して行動するよう自分自身を訓練しなければならない   ことを意味している。もし我々がそうすれば   我々が他の人々に対して正しく行動することに   そして自分自身を尊敬すると同様に他の人々を尊敬することについて我々が基礎をもつであろう。何が良いことで寛大なことか   そして何が悪いことで利己的なことか   我々がその間の内部バランスを創る努力をするのとちょうど同じように   また我々自身の考慮と我々の隣人たちの考慮との間の内部バランスを創る努力をしなければならない。我々はお互いを愛さなければならない。   そして   我々の伝統は我々自身を良くする訓練を助け   我々がとる行動の種類において我々自身を愛する理由の発見を助ける   これと同様に   それは他の人々と一緒に我々自身が生活する訓練を助ける。我々の各々が「良い心の道」に従う努力をして   我々がお互いに痛みを避ける努力をするような社会を一緒に築かなければならない。共同体社会の全てのメンバーが個々に良いという理由で   共同体社会が「良い心の道」に従う   そんな社会を我々は築かなければなりません。   これが「The   value   of   community」共同体の価値の本質である   そこでは   ヒレルの第二の質問を答える努力をする。   "And   if   I   am   only   for   myself   what   am   I   ?"  

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(お話です) 2 「タルムード」「律法の価値」「生活の選択」「エルサレムのヤブネ体制」

(お話です) 2 「タルムード」「律法の価値」「生活を選択すること」「エルサレムのヤブネ体制とパリサイ派のラビ」「第二反乱と エルサレムのヤブネ体制 についてと イェフダ・ハナスィ (=総主教の総主教のイェフダ)と ヤブネ議会(=ヤブネ・サンヘドリン) について」 「マカベア(ハスモン)家が ユダヤの独立を回復。 前63年 ユダヤがローマの 属領の属王ヘロデの 圧制が行われて、 以降のローマ人総督が 悪政を行って、 ユダヤ人が大反乱を起す (ユダヤ戦争紀元66~70年)。 反乱は鎮圧され, エルサレム神殿が破壊されて、 神殿祭儀なしに 民族的・宗教的共同体を 維持する意識が 強く受け継がれます。 第2神殿時代に発達した、 礼拝と律法研究のために、 安息日(シャバット)ごとに 各居住地の成員が集まる シナゴーグ(集会所)が パリサイ派律法学者の活動の拠点でした。 これらの拠点に集結して 海岸地方のヤブネに集まって、 破壊された神殿にあった サンヘドリン(議会)を再興して、 派律法学者の 律法と律法解釈の ユダヤ人共同体の形成の維持を行いました。 第2反乱(132‐135) ヤブネが破壊されて、 ユダヤ人共同体が ガリラヤになりました。 5世紀初期 キリスト教が強力になり ローマ帝国の国教になりました。 ペルシア時代以降展開した ディアスポラ・ユダヤ人(離散民)が ヘレニズム・ローマ時代に発展して、 紀元の時期 人口が本国のユダヤ人の数十倍に達していた。 大部分のローマ帝国内の ユダヤ人の幾度もの反乱で ディアスポラ(離散民)が 弾圧を受けて、 ローマ帝国の支配圏外にあった バビロニアのディアスポラ(離散民)が 徐々にユダヤ人の拠点になりました。 このことから 5世紀以降 バビロニア各地の 教学院(イェシバー yeshivah)に集まった 律法学者たちが, 「ラビのユダヤ教」を行って、 ユダヤ民族・宗教共同体の基準の 口伝律法の集大成の バビロニア・タルムードを 編纂しました。 10世紀 バビロニア拠点でしたが 以降のユダヤ人共同体が、 イスラム教徒が展開する 北アフリカとスペインが 拠点になりました。」

投稿者:サイト名 有馬徳彦
投稿日時:2012.6.28. 00:59
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タグ: (お話です)   2   「タルムード」   「律法の価値」   「生活を選択すること」   「エルサレムのヤブネ体制とパリサイ派のラビ」   「The   value   of   Torah   :律法の価値」   「Choosing   life生活を選択すること」   「第二反乱と   エルサレムのヤブネ体制   についてと   イェフダ・ハナスィ   (=総主教の総主教のイェフダ)と   ヤブネ議会(=ヤブネ・サンヘドリン)   について」   「マカベア(ハスモン)家が   ユダヤの独立を回復。   前63年   ユダヤがローマの   属領の属王ヘロデの   圧制が行われて   以降のローマ人総督が   悪政を行って   ユダヤ人が大反乱を起す   (ユダヤ戦争紀元66~70年)。   反乱は鎮圧され,   エルサレム神殿が破壊されて   神殿祭儀なしに   民族的・宗教的共同体を   維持する意識が   強く受け継がれます。   第2神殿時代に発達した   礼拝と律法研究のために   安息日(シャバット)ごとに   各居住地の成員が集まる   シナゴーグ(集会所)が   パリサイ派律法学者の活動の拠点でした。   これらの拠点に集結して   海岸地方のヤブネに集まって   破壊された神殿にあった   サンヘドリン(議会)を再興して   派律法学者の   律法と律法解釈の   ユダヤ人共同体の形成の維持を行いました。   第2反乱(132‐135)   ヤブネが破壊されて   ユダヤ人共同体が   ガリラヤになりました。   5世紀初期   キリスト教が強力になり   ローマ帝国の国教になりました。   ペルシア時代以降展開した   ディアスポラ・ユダヤ人(離散民)が   ヘレニズム・ローマ時代に発展して   紀元の時期   人口が本国のユダヤ人の数十倍に達していた。   大部分のローマ帝国内の   ユダヤ人の幾度もの反乱で   ディアスポラ(離散民)が   弾圧を受けて   ローマ帝国の支配圏外にあった   バビロニアのディアスポラ(離散民)が   徐々にユダヤ人の拠点になりました。   このことから   5世紀以降   バビロニア各地の   教学院(イェシバー   yeshivah)に集まった   律法学者たちが,   「ラビのユダヤ教」を行って   ユダヤ民族・宗教共同体の基準の   口伝律法の集大成の   バビロニア・タルムードを   編纂しました。   10世紀   バビロニア拠点でしたが   以降のユダヤ人共同体が   イスラム教徒が展開する   北アフリカとスペインが   拠点になりました。」   「The   value   of   Torah   :   トーラの価値」   ラビ・エリアザル・ベン・アザリア(Rabbi   Eleazar   ben   Azariah)は言った。トーラがないところには作法はない   そして作法がないところにはトーラはない。.........小麦粉がないところにはトーラがない   トーラがないところには小麦粉はない。   [   Avot3:21   ]   Religion   and   mankind   ラビ・エリアザルの言うことは奇術師の演技のようである。奇術師の手のちょっとした動きだけで   ボールが空中に浮いているようにも   そして突然動きだすようにも見える。同じように   エリアザルはトーラと作法   トーラと小麦粉の考えで奇術をしている。   「小麦粉」という単語から   彼が象徴的に言っているということを   我々は知っている。小麦粉は我々にとって毎日のパン   我々の身体のえさ   を代表する。トーラは   比較して   我々の精神---我々の宗教---のえさを代表するにちがいない。   同じことがトーラと作法との間に比較される。ここでは   作法は我々が選んだ生活の毎日の方法を代表する。トーラは   我々の最も高い標準   我々のゴール   我々の道徳   我々の法律---再び我々の宗教---を代表する。   もちろん   作法には良い作法あるいは悪い作法がある。我々がただ単語「作法」を使う場合は   我々はいつも「良い作法」---他人への振る舞いに   敏感でそしてあわれみ深い方法---について言っている。   A   world   wiyhout   Torah   我々は人々がこう言っていることをしばしば聞く:良い作法を持つことは   ひとりの人が世界を平和な場所にする必要がある   それが全てである。人々はこう言うかもしれない   「ユダヤ人であることは   世界の他から私をただ離しているに過ぎない」あるいはこう言うかもしれない   「私はただ人間になりたのだ」   これらの人々が忘れていることは   ただ「人間(human)」であるという自然の状態が動物の状態であることである。それはほとんど永続的に生き残る種類の状態ではない。我々のほとんどの人間では   我々はほとんど野生の動物のようである:餓えた時には互いに戦い爪でひっかく   そして親切に対して邪悪をもって応じる。良い作法は立派である   しかしトーラの保護なしでは   我々を案内する法律なしでは   それら(良い作法)は我々の動物の状態から十分遠くに我々を移動させることはない。ラビはこのことを示すために   老人と蛇の物語を話した。   ある寒い日に   老人が彼の暖炉を離れて彼の野原を歩いていた。彼の手には棒を持っていた   荒れ地で彼を助けるために使い   そしてまた野の獣から保護するために使った。彼が歩いていた時に   道の脇の地にとても静かに横たわっている蛇を見つけた。彼は棒を上げそれを殺そうとしたが   しかし蛇は動かなかった。その時   蛇は寒さで凍ってしまっている   とその老人は悟った。   老人はその蛇がかわいそうに感じた。彼は地面から蛇の凍った身体を持ち上げ   彼自身の身体に接近させて暖かく保った。すぐに蛇はより強くなったが   まだ弱いふりをしていた。それから   突然   蛇は老人のまわりに巻きついて彼を締め始めた。   老人は恐れて叫んだ   「おまえは私を殺したいのか?私はちょうどおまえの命を救ったのだ。おまえは感謝をしないのか?」蛇は笑った。そして言った   「トーラは言っている   蛇は人間のかかとを傷つけるであろう。私はあなたを殺さなければならない   それが人間に対する蛇の方法である」老人はひどく恐れた。彼は蛇に嘆願した   しかし蛇は笑った。   その時   老人はこのケースを裁くために法廷に行くよう要求した。「誰が裁判官になるのか?」   蛇は答えた。「さぁ道に添って歩こう」   彼は言った   「そして最初に会った者が裁判をするのだ」蛇は勝つ確信があったので一緒に行くことに同意した。それで彼は   なおも彼に堅く締めつけている蛇とともに   道を下って行った。   一日中歩いた後   道で   老人と蛇は休んでいる強い牛に会った。老人はその牛に近づいた。「私を殺すことは悪いことだ   と蛇に言ってくれ」   と彼は言った   「私はちょうどこの蛇を助けた   そして共通の作法では   蛇が今度は私を助けるべきである   と言っている」「トーラの中で   蛇と人間は敵である   と言う。   それゆえに私が彼を締めつけて殺すことは正しいはずだ」   蛇は答えた。その牛は蛇に同意した。「あなたは親切な行為をした。しかし蛇は邪悪な行為でそれに報いなければならない。この世界では   我々はいつも善を邪悪で報いるのだ」   牛は答えた。   蛇は老人を強く締めつけた。しかし老人が痛さのため大声で叫び始めたちょうどその時に   ロバがたまたま通りかかった。「そのロバに裁いてもらおう」   老人は痛さで曲がった歯の間から声を出して言った。蛇は微笑んで   そしてふたまたに分れた舌をちらりと見せた。そして   いきさつが再び話された時に   そのロバは蛇に同意した。「善を邪悪で報いるのは自然な方法だ」   ロバは追加した   「それが動物の方法なのだ。最も強い者が一番良い者だ。つめやきばの現実の世界において   使う方法に何があるというのか?」「これは公平な裁判ではない」   老人は言った   「もう一回裁く機会をくれ」   空には太陽がほとんど沈みかけていた。エレサレムの町の影が長くなった   そして丘の頂上の向こう側が暗くなってきた。「見よ   もう遅い」   蛇は言った   「あなたが私を助けてから何も食べていないのでおれは腹がへった。これが最後の裁判だ   そしてあなたは死ぬのだ。」彼らが最後の裁判官を探して道を下っている時に   道の脇に奇妙な光景が現われた。一人の高貴な若者が大地の大きな穴の近くに立っていた。その若者はとの穴の中に彼の美しい杖を落としてしまったのだ。彼は召し使いたちにその穴に水を満たすよう命じた   そして彼らがそうした時に   杖は上に浮いてきた   そしてその若者はそれを簡単に手にとった。   「これは賢い人だ」   老人は言った   「彼を最後の裁判官にしよう。」「そうしよう」   蛇は言った。若者はその二つの話しに耳を傾けた。老人は   いかにして蛇の命を助けたか   を細かく説明した。蛇もまた   老人を殺すことが自分の義務である   と説明した。「まず」   若者は蛇に言った   「おまえは老人から降りなければならない   なぜならばトーラの中で言われている:二人が裁判をしている時は   どちらも有利であってはならない」「さて」   若者は蛇に質問した   「おまえの命を助けた老人をなぜ殺したいのか?」「それはトーラの中で言われている」   蛇は言った   「おまえは男のかかとを傷つけよ」   「それはまたトーラの中で言われている」   その若い裁判官は言った   そして老人の方に向いて   「男は蛇の頭を打ちたたけ」老人は   彼がいつでも持っていた杖を上げた。彼は蛇の頭をたたき   それを殺した。   「今わたしは理解した」   老人は若者に言った   「世界には作法がないのだ   トーラの法律によって保護されている作法を除いては」この高貴な若者は微笑んだ。彼はエレサレムのダビデ王の息子   ソロモンの十代の若者以外の何者でもない。   [   Tanhuma   Buber   ]   良い作法を持つことは   人間であることの一つの精練である。   しかし作法を持つことは   それを支援するゴールや価値を持つことを我々に要求する。映画館でチケットを買う列を考えてみなさい。我々がチケットを買う場合に観察する作法は命じている:最初にやってきた人が最初に奉仕されるべきであり   その後に来たすべての人が順番に奉仕されるべきである。我々はみんな忍耐強くはない   我々はみな次になりたいと思っている;それでもなおも   我々は良い作法を現わし   そして我々の順番を待つ。誰かが列に「割り込む」時   あるいは誰かが我々の前に押して入る時   その時   我々はいらいらさせられる。我々は彼がフェアではないと言う   しかし我々は「彼が人間である!」ということには同意しなければならないでろう。   法律は我々を保護する   その国の法律ではなく   確かに   チケットの行列に割り込む人を禁止する特別な法律は   あったとしてもほとんどの国にはない;しかし我々の宗教の法律にはある。トーラの中で   我々が自分自身を愛すると同様に他人を愛しなさいという戒律   そして全ての人は平等に造られているという教え   を我々は持っている。トーラは善い作法への我々の案内であり   悪い作法からの我々の保護である。   それでラビ・エリアザルの教え   「トーラがないところには   作法がない」我々はそれをこう読める   我々の行動を制御するための一連の標準と価値観を   我々に教える宗教または伝統がないところには   我々の行動は他人の必要の思いやりがないであろう。   Where   there   are   no   manners   ...   タルムードの善き人の一人は我々に教えた:トーラをたくさん勉強して   戒律を理解し愛している人   しかしそれによって生活していない人は   たずなを持っていない馬のようである。トーラはほんの短い間は馬の上に乗っている   しかしすぐに馬はその騎手を頭から投げ出してしまう。   その反対に   トーラをたくさん勉強している人   そしてトーラを実践している人は   たずなを持っている馬のようである。その騎手   トーラ   はこの馬をあちこちに導き   そしてその馬は喜んでその指導を受ける。   [   Avot   de   Rabbi   Natan   24   ]   ラビ・エリアザルの教えの第二の部分   「作法がないところには   トーラがない」   これは実践の生活が先に来なければならないことを   我々に告げている。もし人が法律によって喜んで生活しないならば   トーラはほとんど役に立たないであろう。もし人が   世界の中に作法の必要性があると決心する時のみ   その人はトーラの使用法を見つけるであろう。   それで   まず最初の段階はこうである   「神の視点で正しいことをすること」   [   Exodus   15:26   ]   すなわち   何がビジネスあるいは売り買いで正しいことか。それであなたはこう学ぶであろう:真実で正直にビジネスあるいは売り買いを振る舞う人   そして他人を喜ばす人   その人はトーラ全体を満たしたかのようにみなされる。   [   Mechilta   Vayetze   Beshallah   ]   人が   他人の善い作法に従うことによって   単純にその神の法律を守る時   その時   彼の行動はその法律のために行動している人の行動と同じように   どの点からみても善い。このように   グループが   善い生活をするために最も無知の人でさえ助けることができる。   たとえばトーラを勉強してきた人が   敏感さを持たずに行動したり   あるいはトーラの原則い従って行動することに失敗しているのを我々が見る時は   我々はこう言う気になる:「それには私の行動の仕方と何の違いを作っているのか?」しかし   トーラを勉強してきた人が   親切な方法で行動していて   彼のまわりの人々に幸福をもたらしているのを我々が見たその時   我々はよくこう言うのを好む:「私もまたそういう風に行動しよう」これは   ラビが我々に教えた   人間のもつ自然の方法である。   (モーゼの兄)アロンが道にいた時に   邪悪であるとして知られている男に会った   彼はその男に「あなたに平和を」といつも挨拶をしていた。   その次の日   その男が邪悪なことをしたくなった時に   彼は言った   「もし私がこれをしたならば   私は目を上げてアロンを見つめることができるであろうか?私は彼の前に恥じるであろう   なぜならば彼は私に平和の挨拶をくれるから」それでその男は邪悪をすることから戻ってゆくようになった。   [   Avot   de   Rabbi   Natan   12   ]   しかし作法はどのようにトーラに導くのであろうか?これの最善の例は   我々がこの本の第1章で勉強した物語の中で示めされる---   シメオン(Simeon)と真珠の物語である。最後に   シメオンが真珠をその正しい所有者に返した時に   その所有者はシメオンの作法によって感情が圧倒された。そしてその驚かされた所有者の答えは:「シメオン・ベン・シェタ(Simeon   ben   of   Shetah)の神を誉め賛えよう」   シメオンと共に   そしてアロンと共にいるように   我々の作法がトーラを基本としている時   その作法は他人をトーラに導く。それでラビは教えた:   人にまず最初に善い行ないをするようにさせなさい   そうしてそれから   神にトーラの知識を質問するようにしなさい。   [   Tanna   de   be   Eliezer   p.31   ]   Where   there   is   no   flour   ...   ラビ・エリアザルの言うことの最後の部分は格言として有名になっている。それはこう始まる   「小麦粉がないところにはトーラがない   ....」   他の伝統の中で平行に言われる   ヒンズー教の先生であるVivekananda   (1863-1902)   は言った   「最初にパン   そして次に宗教。空腹の熱望を満足する教義はないであろう」   もちろん   ラビ・エリアザルはおそらく心の中にもっと何かを持っていた。人は勉強するために食べなければならない   ということは真実ではあるが   我々が言ったようにエリアザルは象徴的に話していた。   貧乏の真っただ中では   人はその瞬間の必要性のことのみを強制的に考えさせられる。死に至る飢えの可能性に直面した時   作法や価値観あるいはトーラのための時間はない。人は   僅かな必需品---食料   衣服そして家---に関心を集中することに自分自身を落としめる。我々は   貧乏人にヘブライ語を教えること申し出ることによって   たとえもし彼がユダヤ人であっても彼を助けることはできない。我々は最初にもっと基本的な種類の援助を申し出なければならない。   Where   there   is   no   Torah   ...   しかし貧乏の種類以上のものがある。ラビ・エリアザルが「小麦粉がないところにはトーラがない」と言った時   我々が彼の心の中に持っていたところのことを理解するようになった時に   テーブルの向きが変わり   彼は続けて言う   「トーラがないところには小麦粉はない」そしてここには新しい種類の貧乏がある   食料のはく奪ではなく   トーラのはく奪である。   トーラなしでは   我々の生活は貧しくなるであろう。我々は精神の飢えに苦しむであろう。トーラは世界にそんな豊かさを提供している   我々が「トーラの冠」として話すような   それを祭司の冠   王国の冠と比較する。   ラビ・シメオンは言った   三つの冠がある:トーラの冠   祭司の冠そして   王国の冠である。しかし   良い名前の冠はそれら全ての上にある。   [   Avot   4:17   ]   シメオンはいかにして言うことができるのか   三つの冠があり   それから名前が   四(番目の冠)なのか?答えはこうである   トーラの冠から良い名前の冠が流れ出る。   なぜそれは祭司の冠からは来ないのか?祭司はアロンと彼の仲間の家系に直接に参照しているために   それは誰にでも開かれているのではない。   同じことが王国の冠にも真である   それは王たちにのみ許されている。祭司の冠のように   この王族の冠は来ては行ってしまう単なる地上の力の問題である。   しかしトーラの力は永続する。それは全てに開かれている。各々そしてどのイスラエル人もがトーラの冠をかぶることが出来る。全てがそれを勉強するために招待される。全てが毎週毎週それを読み聞くように要求される。人はトーラによって知恵を獲得する。そしてトーラの勉強を通して   人は独力で良い名前を創造する方法を学ぶ。   作法を通して   我々は独力で「良い名前の冠」を創造する。そして我々の作法は人間であることの事柄だけではない。それらは我々人々の学びと教えとから引き出される。我々の作法はユダヤ人の作法である。我々の行動を通して   我々はそれらを世界に自由に(at   large)表現する。   しかし我々がこれらの作法を表現することが出来る前に   我々はそれらを知らなければならない。我々は学ぶために待つことができない   我々の勉強は今始まらなければならない---今   精神と心が渇望している時に。もし我々がそれらが餓死するまで待つならば   我々はあんまり長く待ちすぎてしまうであろう。それで   世界の全ての大多数が飢えいるような精神の貧乏を   我々は避けなければならない。   もちろん   あなた自身はそれについて何かをすることを決心しなければなりません。あなただけがトーラを   あなたの心の精神を養う小麦粉にする選択ができる。そしてこれをする方法はトーラを「勉強する」ことによってである。   「それをしっかりとつかむ人には   生命の木となって」   [   箴言   3:18   ]   「トーラがないところには作法はない   そして作法がないところにはトーラはない。   知恵のないところには神への畏れはない   神への畏れのないところには知恵はない。   知識のないところには理解はない   理解のないところには知識はない。   小麦粉がないところにはトーラがない   トーラがないところには小麦粉はない。   [   Avot3:21   ]     神がイスラエル人にトーラを与えた理由について   創造主   神は   トーラを授けるべく世界の民族に啓示を行った。   まず   エサウの子孫のところに行って   「おまえたちはトーラを受け入れるか」とたずねられた。   それには何が書いてあるのか   との彼らの問に対して   神は   「殺すなかれ」とある   と答えられると   「その人たちと彼らの父は人殺しでした。『手はエサウの手.....おまえは剣をもって世を渡ることになろう』(創世記27:40)     と彼らは答えた。   今度は   アンモン人とモアブ人のところに行って   「おまえたちはトーラを受け入れるか」とたずねられた。それには何が書いてあるのか   との彼らの問に対して   神は   「姦淫するなかれ」とある   と答えられると   「我々の民族は不倫のかたまりみたいなものです。『こうしてロトと二人の娘たちは父によってはらんだ』(創世記19:36)」   と彼らは答えた。   今度は   イシマエル人のところに行って   「おまえたちはトーラを受け入れるか」とたずねられた。それには何が書いてあるのか   との彼らの問に対して   神は   「盗むなかれ」とある   と答えられると   「我々の先祖は盗みを生業としていたのです。『彼は野生ロバのような人になり   その手はすべての人に逆い』(創世記16:12)」   と彼らは答えた。   神は   ありとあらゆる民族のところに行って   「おまえたちはトーラを受け入れるか」とたずねられた。『他のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らはあなたの口のもろもろの仰せ聞いたからです』   (詩編138:4)   ノアの子らが受け入れ七つの戒律ですら彼らは守りきれず   これをイスラエルにやった。----   「申命記スィフレ343節」   ---   もし神の啓示をどの民族も受け入れなければ   創造の目的は達せずに   全人類は抹殺されていたことであろう   というのがラビたちの思想です。これは果樹園を持っていた王にたとえられよう。彼はこれを管理人に任せてどこかに出かけた。しばらく後に果樹園に出てみたところ   いばらやあざみがぼうぼうと生えていたので   人をやって下払いさせた。その中に見事な一輪のばらが目にとまったので   これを手折ってその香をかいでみたところ   生き返る心地がした。このばら一輪のために果樹園全体をこのままにしておいても惜しくない   と思った。   同様に   全宇宙もトーラのために創造されたのである。二十六世代のちに   創造主の神が世界を覗いてごらんになったところ   そこはいばらやあざみだらけであった。   そこで   「主は洪水の上に座し」(詩編29:10)と書いてあるように   この世界を滅ぼそうとなさった。しかし   そこに一輪のばら   すなわちイスラエルが主の目にとまった。彼らこそは   将来シナイ山の前に立って   主に向って「わたしたちは主が仰せられたことをすべて行い   守ります」(出エジ記24:7)と言うような民族であった。   そこで神は   イスラエルのために全世界を助けてやるだけの価値がある   と仰せられた。----「レビ記ラバ23:3」   ---   もしイスラエルの民が   神の啓示(シナイ契約(=義務方契約))を拒否していれば   エジプトを脱出後   荒野で死に絶えていたことであろう。   ラビのこんな話もあります。創造主の神は   シナイ山を巨大な容器のように彼らの頭上におおいかぶせて   もしおまえたちが受け入れるならばよし   さもなくばこれがおまえたちの墓場となろう   と宣言しました。   ----「   BTシャバ88a」---   モーゼの律法の板が「二枚」あるという理由について   神は十戒を定めると   まず一枚の石の板にそれを彫りました。それから   神は自分の作品をたずさえて出かけました。   いろいろな民族にすすめてみることにしたのです。   要らないかね   神はフランス人にききました。   でも   大体   何が書いてあるんですか   と疑わしげにたずねました。生活の規則だよ。たとえば   「隣人の妻によこしまな心を抱いてはならない」   いや   それなら結構   とフランス人がいいました。それでは楽しみがなくなってしまいますよ。神はドイツ人のところに行きました。要らないかね。   何が書いてあるんですか。生活の規則だよ。たとえば   「人を殺してはならない」   なんですって!では   どうやって戦争をすればいいんですか。神はこうして